回文転文10部以下 (かいぶんてんぶんてんぶいか)

先月見たうらわ美術館の「オブジェの方へ―変貌する「本」の世界」展。内外の名だたる作家の作品が並ぶ中、ひときわ異彩を放っていたのが、福田尚代氏の作品だった。12月2日(水)の朝日新聞夕刊に写真つきで紹介されている。書物を羽ばたかせ、羅漢にまでしてしまう彼女の、書物と言葉への想いには、ひとかたならぬものがあると見た。
そんな福田氏のライフワークに、回文の制作があることを先頃知った。氏のホームページによると、これまでに8冊の回文集が出ている。が、ほとんど私家版である・・・ 幸い、PAPIER LABOという、千駄ヶ谷にある紙と活版印刷のお店で販売しているので、日曜日に行ってみた。
『福田尚代 初期回文集』と、『小さくなってのこっている』の2作品が並んでいる。それぞれ数部ずつしかない。お店の人と話した感じでは、このように展示会を見て買いに来る人がいるようだ。

『福田尚代 初期回文集』は、1994年の第一集『無言寺の僧』(むごんでらのそう)と、1996年の第二集『言追い牡蠣』(ことおいかき)を合本して解説を加えたもの。回文のみならず、転文(逆から読むと別の意味になる文)でも書かれている(ふたつのタイトルを逆から読んでみよう)。『小さくなってのこっている』は、2002年の第三回文集。散文作品も収められている。
福田氏は、回文の制作を化石の発掘作業に喩えるが(『無言寺の僧』解説)、その掘り出された化石をどう組み合わせてひとつの形に仕上げるかというところに作者の世界観が表れ、だからこそそこに芸術があると思う。

ところで、6日(日)の朝日朝刊「声」欄に、「森まりも」さんという高校生の女の子の投稿が載っていた。「子の名付け 親はよく考えて」という題で、回文をねらって付けられた自分の名前をかつては嫌った経験を引き合いに出して、子どもにおかしな名前を付ける最近の親たちを諌める内容だった。幸い彼女自身、今は自分の名前を気に入っているという。そんな彼女にぴったりの回文を見つけた。

澄んだ森まで毬藻ダンス
『無言寺の僧』 (『福田尚代 初期回文集』14頁)