高祖保の牛窓

10月8日、高祖保の生誕地・牛窓を訪ねた。
思い立ったのは前日のこと。その日こんな記事を読んだのがきっかけだった。

牛窓の詩人・高祖保知って」(読売新聞 YOMIURI ONLINE版、10月6日付)

生家跡の史料館に高祖保コーナーができ、7日より公開されるという。
実は、高祖保の生家が取り壊され、詩人生誕の地を示す碑と、家にあったものを展示する小屋が建ったらしいことは、7月に龜鳴屋の勝井さんが伝えてくださり知っていた。生家がなくなってしまったのは非常に残念で、もっとはやくに訪れておくべきだったと己の出不精を深く悔いたものである。これで牛窓はますます遠くなりにけりと思っていたところへ、今回のニュース到来。詩人のコーナーが新設されたからには、駆けつけないわけにはいかない。なかば衝動的に、牛窓行きを決めたのだった。

東京から牛窓までは、新幹線のぞみを使っても、片道約5時間の旅となる。
早朝5時半に高田馬場を発って、品川―岡山―邑久と列車を乗り継ぐ。邑久駅前から乗ったバスで終点・牛窓へたどり着いたころには、10時半になっていた。
生家跡へは午後から行くことにして、外村彰『念ふ鳥 詩人高祖保』(龜鳴屋、2009年)を手引きに、しばし牛窓の町を散策する。

保少年の幻影を追って

高祖保が8歳まですごした牛窓は、万葉の古から知られた港町である。バスを降りてまず眼前にひろがるのは、穏やかな瀬戸内の多島美。磯の香りが鼻をくすぐる。振り返ると、町の背には緑豊かな丘陵が連なっている。
バス停からほど近い丘のふもとに、牛窓天神社へいたる長い急な石段があった。

境内へ遊びに行く保少年の幻影を追いかけて、のぼる。途中、振り返って町を見下ろしてみると、海と丘に挟まれた牛窓の地勢がよくわかる。海の向こうに見えるのは前島である。

写真奥中央あたりが、生家のあった場所。『念ふ鳥』がお手元にあれば、23頁の写真と見比べてみてほしい。大きな屋根の家がなくなっていることに気づくだろう。

天神社の境内。他に訪れる者もなく、ひっそりとしている。

名家の病弱なお坊ちゃんだった保少年が、ここでどれだけ遊んだか、わからない。この境内からの眺めは、少年の感じやすい心に詩情の種を植え付けたことだろう。

『念ふ鳥』にある通り、社殿には保少年の祖父・高祖伝四郎の名が大きく刻まれている石材・石柱がいくつかあった。高祖家は地元屈指の素封家だった。

石段を下りて左へ折れると、大きな蔵のある古い建物が現れる。現在も続く高祖酒造の発祥蔵で、文化庁登録有形文化財に指定されている。ここは保少年の生家とは別の高祖家。牛窓は高祖姓の多い土地である。

高祖酒造の前に古井戸があった。

案内板によると、これは「学校の井戸」といって、かつてこの近くの丘に小学校があったことからそう呼ばれていた。「小学校時代にこの井戸水を釣瓶で汲んで学校まで運び上げたことを記憶している人も多い」とある。保少年も、水汲み当番をしたことがあるかもしれない。

牛窓の古い町並み一帯を貫く道は現在、「しおまち唐琴通り」と呼ばれている。この通りを、生家とは反対の西に向かって歩いてみる。

しばらく行くと、「牛転(うしまろび)」というレトロな佇まいのカフェがあった。旧牛窓郵便局で、昭和初期の建築らしい。

その少し先の、本蓮寺にのぼる。ここは江戸時代、朝鮮通信使の宿や接待所として利用されたこともある名刹である。

丘の上なので眺めもいい。

保少年の孤独な心に、ここの鐘の音はどのように響いたのだろうか。

本蓮寺を過ぎると、「しおまち唐琴通り」は海岸沿いの道路と合流する。その道路を少し東へ戻ったところに、「海遊文化館」というまたレトロな佇まいの建物があった。明治20年に建てられた旧牛窓警察署である。後ろに見えるのは本蓮寺の三重塔。

中では、10月の秋祭りで使われる江戸明治に製作されただんじり8基のうち2基と、朝鮮通信使に関する資料が展示されている。だんじりは生家のある関町のものではなかったが、保少年も祭りで幾度か目にしたことだろう。

カフェ「牛転」で昼食をとり、いよいよ生家跡へ向かう。

史料館「なかなか庵」

「しおまち唐琴通り」を東進し、バス停から延びる道と交差するあたりにある広場を過ぎて、「高祖鮮魚店」を右手に見ながらもう少し進むと、ぽっかり家並みが途絶えて更地が現れる。ここに、昨年まで高祖保の生家が建っていた。一部駐車場になっているほかは、現在何もない。

通りを挟んだ向い側に目を転じると、そこもなかば更地のようになっていて、「中屋発祥の地」と刻まれた石碑、史料館「なかなか庵」の案内板が立っていた。奥に見える小さな建物が史料館。ちなみに「中屋」とは、商家だった高祖家の屋号である。戦後は「ナカヤ洋品店」を営んでいた。「なかなか庵」の名称は、これに因んでいる。

最初興奮のあまり見逃したのだが、石碑の別の面には、「高祖保生誕地」と刻まれている。

案内板の内容を転記しておこう。

私設ミニミニ手づくり史料館
なかなか庵
 ご自由にどうぞ(無料)

開館日時
毎月第二日曜日および第三土曜日(このほか随時開館)
十時〜十六時

内容
一、ここ(中屋高祖家)で生誕した詩人高祖保展
一、商家(中屋)伝承物品の一部を展示(江戸期〜)
一、牛窓の主な商家の足跡掲示(江戸期〜)
一、牛窓の昔の写真掲示

高祖保展が内容の第一に掲げられているではないか。期待に胸躍らせながら、庵へと進む。と、入り口前のテントにおられたご婦人がにこやかに中へと案内してくださる。この方が高祖良子さんだった。高祖保からみると、異母兄の孫のご夫人にあたる。

庵に足を踏み入れるとまず目に付くのが、天井からさがる「高祖保コーナー」の表示。力の入れようが伝わる。ひととおりご説明していただいた後、庵の運営者・清須浩光さんより、さらに熱のこもった解説を受ける。

コーナーの構成は以下の通り。

高祖保写真集(幼年時代から晩年までの写真パネル)


高祖保のみじかい一生を写真でたどることができる。彦根中学時代に描いた埋木舎の絵(写真)や、高村光太郎堀口大学からの葉書(写真)、父と祖母の写真もある。詩人の端正な顔立ちは、父親譲りであることがわかった。

詩集・関係資料


生前の詩集はすべてコピーである。だが、未刊詩集『独楽』原稿のコピーは大変貴重。詩人のご子息より提供されたものだとか。現物は彦根市立図書館にある。ほか、『青芝』の高祖保追悼号(コピー)、『高祖保書簡集』、現代詩文庫の『高祖保詩集』、高祖詩を含むアンソロジー、『念ふ鳥』をはじめとする外村彰氏の著作など。

略年譜


分かりやすいように、出来事が種類別に色分けされている。下には詩集の一覧や、交流のあった詩人の解説なども付してある。

童謡 「蜜柑の実 〜 吾子におくる」


高祖保が作詞した童謡「蜜柑の実」。

つぶら実の 蜜柑を剥かうよ
蜜柑には お部屋があるね
お部屋には 灯りがともり
肩組んで みんななかよく
ならんでる。


蜜柑には 家族がゐるね
ふとつてる 父さまに似たの
子を抱いて 母さまに似たの
きやうだいで みんななかよく
ならんでる。


蜜柑には 中心があるね
中心に みんな向つて
中心に あたまそろへて
輪になつて みんななかよく
ならんでる。


蜜柑には 故郷があるね
みんなみの 海のふところ
段々の みかんばたけの
みかんの樹 みんななかよく
ならんでる。


外村彰『念ふ鳥 詩人高祖保』龜鳴屋、2009年、360-361頁

ラジオ放送されたのは、昭和19年11月28日。詩人は出征のため聴くことかなわなかった。調べは素朴だが、わが子と家族を慈しむ心が素直に表出した暖かな童謡である。清須さんはこの曲を、自ら団長を務める合唱団の歌声で、今によみがえらせた。おそらくここでしか聴けない、貴重な無形史料である。
「蜜柑」、そして「みんなみの 海のふところ」という詞は、どこか瀬戸内の風土を思わせる。高祖保は生まれ故郷を直接詩に詠うことはなかった。それだけに、牛窓への郷愁を垣間見せるこの童謡が、ここで流れることの意義は大きい。これが聴けただけでも、訪れてよかったと思う。

これらのほかにも、高祖家所蔵の古写真や絵葉書から選ばれた昔日の牛窓風景、

そして、中屋高祖家をはじめとする牛窓の商家の足跡を解説したパネルや、中屋の繁栄を伝える物品の数々が展示されている。

また、清須さんがまとめられた高祖姓のルーツに関する興味深い論考も配布されており、この小さな史料館で、高祖保の原点をさまざまな側面から知ることができる。
高祖保が生まれ故郷でこれだけ顕彰されていること、詩人のもう一つの故郷・彦根出身者の私としては、うらやましい限りである。

展示を堪能した後、史料館前のテントでお二人と歓談する。詩人に関心を持つ者どうし、話が尽きることはない。そばに古井戸があって、まさに井戸端会議。

気が付けば、2時間近くも長居をしていた。
突然やってきた馬の骨をあたたかく迎えてくださった高祖さん清須さんには、衷心より感謝いたします。

※史料館の写真は許可を得て撮影・掲載させていただきました。

なかなか庵を出て、近くの金毘羅宮にのぼる。ここからの眺めも美しい。

ああそうだったと、携えてきた現代詩文庫の『高祖保詩集』を取り出す。
水面に煌く日の光に目を細めながら、こんな詩を読んで牛窓を後にした。

秋へおちる海


うごめくものが、そこに ここに
庭土にじぶんの影拾ひながら、――蟻・・・


水盤に
睡蓮がねむりを沈めてゐる
かかるねむりの水を
火の穹窿(そら)から 蜜蜂(すがる)が口づけに降りてくる


(火伯が 庭土に焼鏝(やきごて)あててしごく
たまゆら 土は白く渇いて炎えあがる)
炎えあがる土へ カンナが
灼熱の「赤」の信号を垂らす・・・


空を刺す 龍舌蘭の舌
高野槙が まなこしばたたく
裸の子が 水鉄砲で そこらぢゆう手がるな虹をつくつてあるく
もくもくと むれあがつて
天(そら)の涯(はたて)へ
雲の峯が眩しいアルプスを描いては消す


かかる風景を一枚剥ぎとつた 背(そびら)に
これはまた! なんと
ああ 藍青(らんじやう)の秋の海が臥(ね)てゐる――