2020年の約10冊

古書の10冊

黄瀛『景星』田村栄、昭和5年6月17日

  妹と私の夜

一人の人間の陰影(かげ)に
きいろい灯はシヨパンの『水の曲』をきかせる

あゝ、夜も秋だ!

わびしい心を持ち初めてから
私は本をよむことを知つた。

『瑞枝』(ボン書店、昭和9年)とは対照的な、菊半截判の小さい第一詩集。
装幀・挿画は吉田雅子。カバーには版画一点のほかは表題も背文字も刷られていない。入手したものはカバー欠だったので、神奈川近代文学館所蔵の木下杢太郎旧蔵本をもとに模作してみた。(NTラシャ青鼠100kg使用)
吉田雅子は村山槐多「カンナと少女」(大正4年)のモデルで、木彫家・吉田白嶺の娘。黄瀛とは文化学院で出会った。黄瀛が本科に入った年に中学部から美術科へ進んでいる。
『景星』のころ吉田は二十歳、本文にも版画3点を寄せた。




3点目の版画は残念ながら欠けていて、画像は木下杢太郎旧蔵本のコピー。吉田雅子は『瑞枝』の装幀もしているので、黄瀛は長らく好意を寄せていたのだろう。
吉田雅子については佐々木央『円人村山槐多』(東京村山槐多研究会、2007年)に詳しい。

巻頭を飾る肖像は、詩友の栗木幸次郎によるもの。発行者の田村栄ともども親しい仲だったようだ。黄瀛の「詩人交遊録」(『詩神』第6巻第9号)に二人の名が見える。


田村栄『TORSO』田村栄、昭和5年6月10日

  霧の夜

お母さんをさがしてる子のやうに
霧のまん中で貨車がふゑを鳴らしてゐる
くらい晩なので
樹は遠くでだまつてるだらう。

装幀・挿画は栗木幸次郎。




黄瀛『景星』と同判型、発行日はその1週間前。『詩神』第6巻7号(昭和5年7月1日)に『景星』と並んで広告が掲載されている。
二冊とも印刷者は田村栄で、野長瀬正夫の以下の文章から田村家の様子がうかがえる。あとがきに製作を手伝った神谷暢と黄瀛への謝辞がある。

一字もプロレタリアを振まはした言葉はない。けれどプロレタリアートの書いた詩である事が分る。彼は外國の作家で云へばフイリツプのやうな人柄である。
朝、父が勤めに行く。彼が活字を拾ふ。母が解版を手傳ふ。友達が来てまた手傳ふ。彼はそうして小さな家で働いてゐる。

野長瀬正夫「四冊の詩集」(『詩神』第6巻8号)より

田村は千葉県海上郡旭町(現・旭市)出身で、本詩集を出したあと9月に徴兵検査のため帰郷。同月6日に地元の高神村で起こった漁農民蜂起(高神村事件)をきっかけに伊藤和・鈴木勝らと雑誌「馬」を創刊した。蜂起に同調する記事作品を発表した廉で翌年伊藤が検挙され、兵役についていた田村も伊藤の証人として呼ばれそのまま逮捕された(「馬」事件)。田村は軍法会議にかけられ、東京衛戍監獄で懲役2年の実刑を受けた。
※「馬」事件については、秋山清「伊藤和と「馬」事件など」(『伊藤和詩集』(国文社 1960年)所収)、松永伍一『日本農民詩史 中巻(1)』(1968年)第6章に詳しい。
※今年7月に出た詩誌「馬」第2号の特集は伊藤和だった。『景星』と『TORSO』は7月の石神井書林古書目録から。田村栄が妙に絡む夏だった。


月丘きみ夫・田村栄『ささやかな出発』田村栄、昭和4年

蝸牛と雪の詩

  Ⅰ

私は かたつむりとお話しできない
私は けれど蝸牛と一しよに出かけることにしました

かたつむりは まちがいないように歩く
それは美しいことだ、私にもあなた方にも。

  Ⅱ

私はぴえろであるから、私はうらまない 泣かない
しひたげても 生きる苦しさにも
私は雪のなかに飛び込まう

すべてを失なうことによつて
たゞ一つの信實(もの)がえられないのか
雪よ、降れ降れ
私はも一度生命と人情とロシアを考え
私は この汚れた手を雪で洗はう。

(月丘きみ夫)

月丘きみ夫は岩手県岩手郡御所村(現・雫石町)の出身。本名・藤本光孝。詩人としては母木光のペンネームもあり。儀府成一の名で小説・童話のほか、宮沢賢治に関する評論・エッセイがある。
『ささやかな出発』は詩友・田村栄との合同詩集で、月丘の上京と徴兵検査のための帰郷をきっかけに編まれた。

月丘は帰郷後アンソロジー『岩手詩集』を企画し、宮沢賢治にも寄稿と編集委員を依頼している(編集委員は断られた)。以後晩年の賢治と親交を結んだ。(儀府成一『人間宮澤賢治』(蒼海出版、昭和46年)参照)

本書も印刷者は田村栄。印刷所は発行者の田村宅と同じ雑司ヶ谷の住所で、「東京新しき村印刷場」とある。当時田村宅は新しき村東京支部の印刷所だったのだ。


加藤健『詩集』竹村書房、昭和12年


第四詩集。装幀・挿画は藤田嗣治。いつか加藤健の盛岡を歩いてみたい。

 あをく、月光(つき)の山、
  口齒(は)にしみる、雪、
 おまへは死んでしまつたのだ、 ほんとうに、 おまへは生きてゐるのだ、
雪がつもる、 そして、絶對の世界がくりひらかれる。


加藤健・松田幸夫『詩集』詩洋社、昭和14年


第七詩集。装幀・挿画は深澤紅子。
前年盛岡に滞在した立原道造を送別する詩がある。無題で献辞もない。以下はその第一連。装幀をした深澤紅子実家の山荘・生々洞に立原は寄寓したのだった。「盛岡ノート」との縁を感じる詩集。

 マタ來ルンダヨ、 マタ來ルンダヨ、

その、あをじろい苹果を、 ポケツトに、
 ひめてゆくなら、
  おまへをまもつてくれるだらう、 祈りのやうに、もつとたしかに、


笠野半爾『水の悲哀』青樹社昭和8年

画:伊谷賢蔵、装:天野大虹

ふと忘れてゐた人のこゝろを思はせる
雪の夜よ
僕は僕の血よりも白いひとさし指に
小さな角燈(カンテラ)をともしながら
とおい思ひ出を蜘蛛の糸のやうにたぐりよせる

「雪の夜の童話」より


『西山文雄遺稿集』城左門編、文藝汎論社、昭和9年


装釘:秋朱之介

彼女は自動車屋のガラス窓に飾られたロールス・ロイスのやうに清潔であつた。

「Idylle」より


福原清『月の出』私家版、1924年

第二詩集。萩原朔太郎が序文を書いている。

「子供」と題する詩は、全巻を通じて最も佳い作品である。

 彼等は薄暗い室の一隅や 椅子の下で
 深く考へこむやうになる
 ごらん
 みぢめにも父母は枯草のやうに干乾びてしまふた
 人生(ひとのよ)にはなんらのいきいきとした悦びもない
 人は晴れた日の青ぞらに
 子供らの寂しい姿をみるだらう
 彼等はめいめい小さな翅(はね)となつて
 あけくれ彼等の故郷をさがすのである

子供の神秘な情操が、愛と同情とにみちた心で涙ぐましく歌はれてゐる。丁度それが神秘詩人ブレークの詩想と一致してゐるのである。子供の感情をうたふことのできる人は、 本質的に純眞な詩人でなければならない。

萩原朔太郎「序言」より


『倉橋顕吉詩集』編集発行・立川究、昭和24年

まことに
静かな夜で御座居ます
行儀の良い此處の住民は
みながみな
鳥眼でござゐます
女共は乳も出ない夜を
小供たちは
泣くこともしない夜を
暗闇の空高く
遠くから遠くへ
あれは
星々の間を吠えてゆく
ふくろふの群でござゐます

「第三帝國街夜話」(1937年)より

1981年に日記等が増補された『詩集 みぞれふる』が、実弟の倉橋志郎氏により刊行された。


人見勇『襤褸聖母』第一書詩社、昭和28年


装幀:兵藤和男

いつからか
凍てつく港町の甃をあるいていた
銹びた鎖をひきずつて
僕は 遺愛の讃美歌集をいだき
かたい古本屋の戸を
あてどなく たたいては押した
更に 熱い釘をのむ証のために

「黒い花環についての記憶」より

元来、詩集と云うものは、詩人の脱皮なのだ。詩集を出すことによつて、詩人はさらに高く、さらに深く、飛翔するのだから。それにしても君は、たつた一冊の詩集を出す前に、天童となつてはるかに飛翔してしまつた。何と云う純粋さだ。何と云う誠実さだ。何と云う痴愚だ。私は、呆然と、ジエツト機のような君の生涯の早さに眼をみはつているばかりだ。

岩佐東一郎「序」より


新刊の約10冊

牛窓 詩人高祖保生家』小幡英典写真・外村彰著、龜鳴屋、2020年


『念ふ鳥 詩人高祖保』の追補別冊。前半は今はなき詩人生家の写真集。後半は評伝の補遺と、ミャンマーの詩人最期の地探訪記。

詩の立会人 大野新随筆選集

詩の立会人 大野新随筆選集

  • 作者:大野 新
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: 単行本

カツベン―詩村映二詩文

カツベン―詩村映二詩文

  • 発売日: 2020/07/01
  • メディア: 単行本

そこはまだ第四紀砂岩層

そこはまだ第四紀砂岩層

  • 作者:服部 誕
  • 発売日: 2020/10/20
  • メディア: 単行本

二十世紀日本語詩を思い出す

二十世紀日本語詩を思い出す

山田稔自選集 3

山田稔自選集 3

  • 作者:山田稔
  • 発売日: 2020/07/01
  • メディア: 単行本

オーダーメイドの幻想 (批評の小径)

オーダーメイドの幻想 (批評の小径)

生の館

生の館

「toji 3号」トージ社、2020年4月


2号に続き「白鳥古丹」という小文を寄せた。吉田一穂が幼少期を過ごした古平を訪ねた話。挿画は樋口達也さん。