2018年の約10冊

古書の約10冊

今年は戴きものに恵まれた。生前の詩人の記憶も。受け継ぐことの喜びと責任。

水沼靖夫『四季の子守唄』私家版、昭和46年

透明な滴くを放射状に
きらめかせて燃えた
あの水々しかった太陽
たとえ真火な荒野がすぐみえるとも
いつまでも霧のむこうに潤んで
俺の身は濡れ 水がしたたり
そのまま溶けて流れて行くように思えた
水の国へ その水の都へ

「太陽は」より


水沼靖夫『漁夫』関西書院、昭和50年

時間はそれぞれに魂を握り締めているものだ
魂を握り締めて
身を浸して流れる水のようにではなく
波間に遠のく島のように
その島へ寄らなかったことへの悔いのように
時間はある

「時間は」より


水沼靖夫『近江抄』私家版、昭和51年

 稀にこの国を出て、そしてこの国に帰って来た者は、己の探していたものを初めて見出すにちがいない。逢う身よ。あるいは、この国に失なった分身を探しに来る者は絶えない。そして探しあてたものを連れて帰ることができないと知って、この国に住みつく。

「外輪」より

 この作品集は「わが近江」と名付けてもよかった。この国には緑色の、それも水のような風景が常に溢れていて、私の由来がその向うに隠れているように思えたからだ。

「あとがき」より


水沼靖夫 個人誌「水夫」A(1985年1月)・B(1985年3月)・C(1985年6月)

「水夫」Cの発行日は1985年6月30日だが、詩人は6月10日に入院、8月15日に亡くなった。



没後、小柳玲子氏によって編まれた最後の詩集『水夫』(花神社、1985年)は、同誌と同じ体裁・レイアウトがとられた。左は筒函。

 卵細胞が卵巣内で発育し成熟したとき、卵胞が破れて卵子が排出される。その卵子は子宮の闇の中をゆっくりとその中心に向って下りてゆく。まさに白色矮星のように、薄暗く光りながら移動してゆく。それは私の眼には青白く揺れて見えるようだ。そして受精しなかった卵子は、超新星のように散ってしまう。
 このようなアナロジーを私はよく想う。特に、白色矮星の美しさを想い浮かべる。それが生でなく死の様態であることを思いながら。しかし、内宇宙は外の宇宙と正反対の在り様を示してくる、ことも私の驚きである。

「雑記 内宇宙」(「水夫」C)より


『尾形圭一詩集』尾形圭一詩集(遺稿)刊行会、昭和35年

昭和4年神戸市生まれ。彦根の滋賀大経済学部では近江詩人会の指導者でもあった杉本長夫の教え子だった。大学卒業後、長浜で塾の先生をしていたことがある。昭和35年、神戸にて没。師の杉本長夫が序文を書いている。
印刷・双林プリント。装幀・山前実治。

  詩人と柿

青空に映える柿が
しぶ柿だということを
誰よりよく知っている君だ

わざわざとって
かじらなくてもよいだろう


杉本長夫『呪文』文童社、1962年

  小景

坂道を登りつめると
老蘇(おいそ)の森がみえる
鐘や太鼓の音がしている。

やがて
小鳥を飼つている農家の
見事な椿の古木
あたりは菜種の花盛り。

男の子が二人で
田芹をつんでいる。
ここまでくると
わたしの足は急に軽くなる。

ほつこり甘いマロンをおもわす
多喜さんの家はすぐ近くです。


井上多喜三郎『花のTORSO』月曜発行所、昭和15年

多喜さんの袖珍句集。

  ビワコホテル

配皿のボーイは若し月も配る


高橋輝雄『もくはんのうた 5』虫眠館、1979年

自刻自刷の木版画・蔵書票に、木版で刷った友人の清水卓・小桜定徳・自身の詩。限定30冊のうちの第27冊。
高橋はのちに清水の詩だけで『清水卓詩抄』(1981年)を自刻自刷で20部つくっている。




『詩集 海道』龍舌蘭社、1950年

宮崎の詩誌「龍舌蘭」同人の合同詩集。高橋輝雄のカット1点。高橋の友人・清水卓の妹・清水ゆきの詩が8篇掲載されている。


清水卓に妹がいたことを今年以下で知った。
小桜定徳旧蔵の高橋輝雄木版詩集 : daily-sumus2

  無題

古い鳩時計はもうならなくなつた
しかし禱りてきかせ給へよ
失樂の歌を

(清水ゆき)



中田忠太郎『かひつぶりの卵』私家版、大正14年

この石川の詩人の名を初めて聞いたのは金沢の龜鳴屋さんでだった。その日オヨヨ書林せせらぎ通り店で伊藤信吉『金沢の詩人たち』を見つけ、「中田忠太郎『かひつぶりの卵』の詩人」という文章を読んだ。
あれから4年。ようやく手にした本書はボロボロだが、いまも若々しい抒情に満ちている。19歳の作。


NDLデジコレで読める。
かひつぶりの卵 : 詩集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

詩集はこれきりのようだ。没後金沢の詩誌「笛」93号(笛の会、1970年)で特集が組まれ、前半が6篇からなる遺稿詩集となっている。


『夜の歌 長谷川利行とその藝術』矢野文夫編、邦畫荘、昭和16年

長谷川利行展の帰りに百年さんで。

うすねづみ色の
うしろ姿である
部屋の片すみを
遁れて行く
あすぱらがすを
食べたいナ

(「キヤツフヱ・オリエントの印象 その1」)


阪本周三『朝の手紙』蒼土舎、1981年

ひらかれた書物にサイドラインを引くために生まれてきたのではなかったことを、
あなたのひとみのなかで
ぼくは耐えなければならない。

「海」より