2019年の約10冊

古書の10冊

水蔭萍『燃える頬』河童茅舎、1979年


映画『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』(2015年 台湾)で忘却の淵より浮上した水蔭萍(楊熾昌 1908-94年)の第三詩集。限定75部。
1933年から1939年まで「詩学」「椎の木」「神戸詩人」「媽祖」「華麗島」「文芸台湾」「風車」等の雑誌や、「台湾日日新報」「台湾新聞」「台南新報」等の日刊紙に発表したという作品が集められている。戦火で資料蔵書一切を焼いたため、戦禍を免れた友人のスクラップブックから編んだという。「風」の詩語がよく出てくる。台南の海と街を彷彿させる。
ちなみに第一詩集『熱帯魚』はボン書店から75部出したとあとがきにあり、その発行年は1930年と巻末の著者目録にある。しかしこの年ボン書店はまだない。エッセイ集『紙の魚』のあとがきでは1933年、同書巻末には1932年とあり、詩人の記憶は一定しない。ボン書店の詩誌『詩学』に寄稿していたのは確かなので、鳥羽茂と親交があり彼が第一詩集の世話をしたのは事実なのかもしれない。

  風の音樂

春の息はをののいて、菫の歌がかほる
菫の匂ひの中に少女たちの菫色の睡眠がある

白々しい孤獨の樂器
杳い愛の歔欷があり
忘られた薔薇色の花がギタールの弦の上に落ちる

少女の唇の紅い言葉
果樹が散香(にほ)ふ古風な夜

古里の祕密な樂(がく)の音がきこえ
私の頬に風の接吻(ベエゼ)がとける

  雄鷄と魚

花束の風は波間に靑い
香氣の風よ!
夜が貝殻の愛にむせび
雄鷄は季節の踊歌をうたう
墜ちるセラフイムの歌
淡白の星群は天の秘密にふるえ
湖礁の水脈(みを)に縞が流れる
魚域の上に漾ふ蝶
匂える季節の夜明である

  蒼褪めた歌

老いた空に、
月もない囘想が眞白い葩にうづもれ
私の詩は片々と季節風の中に
溶けていつた
窓の下、いちめんにこほろぎが泣いて、
瑕ある心傷の風貌は蒼ざめはてた
黃昏にかなでる風琴は
飛び散った行衛しらない詩ばかり……
蝶は揚る
自殺者の白い眼におびえて散る病葉の
音樂のなかに
私は風景のかぜをひくのだ


水蔭萍『紙の魚』河童書房、1985年


エッセイ集。限定100部。装画・挿画は福井敬一。序文も寄せている。戦後新聞記者として書いたもの(時事評論、随筆、紀行)がほとんどだが、1930年代の散文や詩も数篇ある。

土器の音響と土人の口唇から洩れる酒歌、蕃山の夜明けはエスプリの本質である。

土人の口唇」(『風車』第3号(1934年3月))より

私は風の吹いている街の中を歩いている氣持であり、今にいたるも變りはない。黃昏れる灯のついているのはみな人の住んでいる家である。そして私はやはりどこまでも風の中を歩いているのであるが、一體だれがそれを私にさせるのかわからない。

「殘燭の焰 燒失した作品の囘想と女性とのロマン」(1984年9月)より


冬木胖『十七歳』私家版、昭和12年


著者自装、限定50部。扉の次に「冬木私版本第壹回作品」の表記あり。堀口大學が序文を寄せている。奥付から宝塚在住であることがうかがえる。同じ装幀で「冬木私版本第壹貳回作品」として詩集『五七五』(昭和13年)もあり。

  噴水

月夜の園の鶴夫人(マダム・シゴオニュ)の扇

初出は「パンテオン」2号(昭和3年5月)。この一行詩を高祖保は詩「孟春」のエピグラフに掲げている。


加藤健『りんごの枝に』私家版、昭和19年


第十詩集。和装本、筒袋付。編集・臼井喜之介。生前最後の詩集。詩人は昭和20年1月10日没。

  郭公鳥

市街(まち)を離れると、
田圃をこめて、河原に沿ふて、
夕暮れの闇が、立ちよどんでゐた、
しづかな風が、頬にふれる、
自分を、自分の肉體を、かへりみなかつた、此處の、幾月、
自身を滅却するのだ、
ひた向きに馳る、自動車のなかで、私は、
いまゆく患家の幼兒と、臥す父の姿とが、
心魂(こころ)に、まつはりついてくるのを嚙みしめた、嚙みしめる、—
郭公鳥(かつこう)が鳴いた、

山脈のかげに、靑い林檎の悲しみを感じた。

※詩人は盛岡で医者をしていた。


『片山敏彦遺稿』私家版、昭和36年


カバーにあしらわれているのは、ラヴェンナのガッラ・プラチーディア廟のモザイク。

  コバルトの妖精

コバルトの妖精よ
君の靑さがはつきり見える。
靑の中の コバルトの靑。
子供のとき ほくはふるさとの海邊で君を見た。
君は空にかかつて
つばさを伸ばしていた。
ぼくは地中海で君に出會つた
マリアの服の
日の當たる部分に
君が居た。

61・3・27


天野美津子『車輪』臼井書房、1953年


  ろうそく

まつすぐにまつすぐに
意欲にたぎつている瞳だ
風にも吹き消されず
鳴つている旗じるしだ
 が 金色の夢の中にすつくと一本
白い骨の死んでゆくのが輝いてみえるばかりだ


天野美津子『赤い時間』ブラックパン社、1957年

たつた一枚きりしかない
生ぬるい衣服
それがこの世の牢獄だった
つながれたものの悲しみが
わたしを狂えるイヴにした

「宴」より


天野美津子『零のうた』文童社、1963年

  風のある日

髪を逆立て
炎のように燃え上る
山の端の孟宗薮よ
空の上で男神と女神は叫びたまう
一日に百人とり殺してやる
一日に百五十人生んでやる


尾崎与里子『はなぎつね』近江詩人会、1978年


第一詩集。詩人からいただいた。ありがたし。印刷は双林プリント。限定300部。手ずから制作をしたであろう大野新が跋文「はなぎつねの座」を寄せている。はなぎつねとは、長浜の“御坊さん”こと大通寺に古くから住みついていると伝わる“はな”というきつねのこと。

  少年

ときどき腐乱をくりかえす私の空気

かたわらで
うつむいて
大きな動物の肉を裂いている少年

ナイフを持つ指のはげしさに
まぶたをとじた獣は
おもわず声をあげているけれど
血まみれの指輪の
かすれたようなイニシャルは
やっぱり
私のさがしていた
童話の主人公ではないのですね
ちからいっぱい肉をはがすと
少年は
おびただしい骨をまっしろに磨きたて
その見事さに
すこし未練を残しながら
美しい奴隷の忠実さで
ものうい挨拶にくれていきます

 長浜市には、目も耳もわるいが、無類の善意あふれる詩人武田豊がいる。ラリルレロ書店という古本屋を経営している。その書店の右隣から現代的な繁華街に改装されているのも何か象徴的である。長浜に住んで詩を書いている人は、誰彼となく、折にふれては、この軒さきをくぐる。彼女もそのひとりである。その古本屋から御坊さんまではすぐである。彼女はその寺のすぐ近くに住んでいる。せまい道で、車があまり通らないから何百年も前からのように、人や犬があるいている。

大野新「はなぎつねの座」より


長谷川進『あわわん』長谷川工房出版、平成元年(再版)


初版は昭和49年。再版にあたり、詩誌「ノッポとチビ」でいっしょだった大野新が序文を寄せている。
河野仁昭『戦後京都の詩人たち』によると、黒瀬勝巳とは高校の同級生で、「刹那」(昭和41年)・「櫓」(昭和50年)といった同人誌を黒瀬らと出していた。大工で工務店を営み、黒瀬の家も長谷川が建てたという。
あとがきから察するに、本書のあと詩を書かなくなったのは黒瀬の死も一因のようだ。

  日曜日

頭のどこかにある港で
潮風に吹かれて
いつも悲し気な顔をした僕が立っている
ある日
白い船
静かに
なんかの間違いのように
港に向ってくる
それが間違いでないことが分るにつれて
おたおたしはじめている突堤の僕を
ひとり思い浮べて笑ったりする
日曜のひるさがり


新刊の約10冊

「toji 2号」トージ社、2019年3月


正一さんのおさそいで「夏の湯の夢」という文章を寄せた。