老蘇村のモダンボーイ

  • 抒情詩社編『一九二七年詩集 昭和二年版』 抒情詩社、1927年

趣味展にて。1500円也。『抒情詩』同人を中心とする170人の詞華集。
井上多喜三郎の「印象詩派詩篇」6篇が収録されている。
時に多喜さん25歳。初期に属する詩業である。

  噴水

絹糸のやうにさみしい噴水(ふきあげ)は
きれいな夢夢を繡(つづ)る
それは親切な ミシン屋さんです


  夕立

快活な風足は
めい めい の恋人を尋ねて
象牙のステツキをつく


  エァシップ

タバコ屋の娘さんの
ながしめの上手さ
煙になるステツキがよく売れる


  清秋

  I
物干竿のエプロンに
ざくろのやうな空気が羽搏いて
笑窪が一つ
僕のポケツへ宿ります

  II
VIRGIN の
明るい頭髪(かみのけ)は
ランプの匂(か)よりか なつかしい


  秋を繡る

背戸の木柵にカリンの実が流れ
海綿(うみわた)のやうな雛鶏(ひな)は
はつ恋のこころに躍り
コスモスは愛(かな)しき想念(おもひ)の虹で
ふらんねるの少女が
つつましいくちづけで つづるのは
くりいむ色の絽ざしです


  秋冷

七草の振袖をひらひら着た少女の
繊麗な日傘の上に
合歓の花はよき恋に似て踊れど
かなしやな
野分が銀鎖をひく

「エァシップ」と「清秋」以外の4篇は、なぜか『井上多喜三郎全集』に入っていない。
近江の山と田畑ばかりの田舎で、自ら「印象詩派」と称してこんなハイカラな詩を書いていた多喜さんを、当時天野隆一ら詩友は「老蘇村のモダンボーイ」と呼んでいたそうな*1

*1:外村彰 『近江の詩人 井上多喜三郎』 サンライズ出版、2002年、56頁