天野忠つながり

京王新宿の大古書市初日に買ったもの。

  • 倉橋顕吉『詩集 みぞれふる』編集発行・倉橋志郎、1981年 1000円也

  • 『山前實治全詩集』文童社、1981年 3000円也

  • 河野仁昭『小庭記』洛西書院、2007年 500円也


以上、赤尾照文堂の棚より。京都ゆかりの、というか天野忠つながりの詩人の本ばかりになった。

倉橋顕吉(1917-1947)は、天野忠の『我が感傷的アンソロジイ』で知った詩人。高知生まれだが、京都に出て1936年より詩誌『車輪』を主宰していた。おなじころ天野は京都の同人誌『リアル』に参加していて、二人は一度だけ会っている。『車輪』と『リアル』は1937年に特高の弾圧を受けてつぶされた。以後終戦まで天野は詩の筆を断ってしまうが、倉橋は時勢に抗うような作品を書き続けた。1940年にはこんな詩を発表している。

  みぞれふる

おもたいものが空を掩ひ
つめたいものが宙をみたし
心ぬくもるまなざしなど
ああ 何処にもない

男も
女も
家に籠つてしまつた

あけくれ
ちいさい火桶をかこみ
屋根のある身の倖せを想ひ
いくぢなく背骨は折つたまゝ

かつたるい夢
ぬるま湯のなか
バラ色に十の爪をほてらせ
障子
からかみ
家の内は冷い影ばかり
灯のくるのが馬鹿におそく
ひつそりと湯の沸く音もきこえ
洩れ来る声は
なんの歌であらう
なんの祈りであらう

暮れ行く前の薄明りのなか
もはや身の裡に燃える火とてなく
よりそふ人々の頭上に
ふとも
はげしい天来の声がある

佇む家々の屋根を叩き
流浪の犬の痩せこけたうなじを打つて

いつとき
潮騒のやうに
巷を埋めてゆくみぞれである


『詩原』 1940年3月号

『詩集 みぞれふる』は、詩人の弟さんがまとめた遺稿集。詩のほか、日記・書簡・評論・ノートが年代順に並べられ、巻頭には岡本潤の回想「倉橋顕吉のこと」、巻末には猪野睦による詩人論「倉橋顕吉ノート」が置かれている。

『山前實治全詩集』は、戦後の関西詩壇を支えた双林プリント社長・文童社社主の、詩人としての業績を集成したもの。巻末に付された「遺文抄」や、井上多喜三郎・天野忠ら「知人によるプロフィル」、写真集も貴重。『我が感傷的アンソロジイ』で天野は、詩の朗読に熱心だった山前の姿を回想している。なかでも奈良女子大の授業で、「たいやき口上」という自作を「屋台店の前で踊りながら歌うように」朗読するエピソードが印象的だったので、まずその詩から読んでみた。

  たいやき口上

〈おおっ〉ほっこり。ほっこり。
たいのほっこり。たいのほっこりーっ。
ほっこり あったまる たいのほっこり。
たいのほっこり。たいのほっこり。

 いっぴき くえば さむさが ふっとび。
 ふたひき くえば ふところふくれて。
 ほっぺは にこにこえびすがお。

さあさ。たいのほっこり。たいのほっこりーっ。
ほっこり。ほっこり。たいのほっこり。
生きたい。生きたい。ぴんぴんの。ほやほやの。
たいのほっこり。たいのほっこり。

 生きたい。生きたい。いっそどっかへいきたい。
 いいとこいきたい。
 (いいとこ。そんなとこあって。)

おおあり。えらあり。おしえてあげましょ。
あたたかい はらとはらとの こう くっつけあえる。
あなたと わたしさ。

〈よおっ〉ほっこり。ほっこり。
はらあたたまる たいのほっこりーっ。
ほっこり。ほっこり。たいのほっこり。
ひんそうづら ふっとばす。
こいつはプロレタリアを けいきづける。
たいのほっこりだよ。

 生きのいい生きたいだよ。生きたい。生きたい。
 たいのほっこり。
 (なに死にたいだって。)
 とんまは およしよ。あかあか もえたつほのおのなかから うまれた たいだよ。
 うまれたての ほやほやの。
 ぴちぴちはねあがる ほら たいのほっこり。

〈おおっ〉ほっこり。ほっこり。ほっこりーっ。
めでたい。めでたい。たいのほっこりーっ。
たいのほっこり。めでたいのは おいらのことだよ。

ほっこり。ほっこり。たいのほっこり。
売れて めでたい たいのほっこり。
いいたいこと いいたいほうだい。
さあさ。たいのほっこり。たいのほっこりーっ。


『岩』文童社、1963年

今後、鯛焼を目にするたびに「たいのほっこりーっ」が脳内に響き渡ること、必定。

河野仁昭氏の著書は、『戦後京都の詩人たち』や『京都の昭和文学』『天野忠さんの歩み』など評論しか読んだことなかった。『小庭記』は初めて読む詩集。といっても散文的な作品が多く、エッセイ集のような味わいもある。「下戸」という作品に、天野忠が登場する。

わたしが 天野さんのうわ手をいくことが たまにあった。「いっぺん酒に酔うてみたい思うわ どんなもんか」と 下戸の天野さんが ぼそっともらしたときだ。すかさずわたしはいった 「そんなしょうもないこと わからはらんかてよろしい」。酒飲み仲間とのつきあいをいとわなかったのに 酔うことを知らずに 天野さんはあの世へ行った。

その河野氏も、今年あの世へ行ってしまわれた。


ほか、天野忠つながりではないが、五十嵐書店の棚より以下を。

  • 北村初雄『正午の果実』稲門堂書店、1922年


タイトルの通り、若々しい、向日性の強い詩集。あまり性に合わないのだが、それでもそこはかとなく惹かれるものを感じて購入。4000円也。一篇紹介。

  一生

 僕は未だ年齢(とし)を取らない。でも僕は赤ん坊になつて仕舞つた。僕は両親をもつて居る。乳母の唄が輝やいて、僕の夢は温たかい。

 僕はずんずん年齢を取つて行く。僕は子供になつて仕舞つた。僕は玻璃(がらす)の笛を持つて居る。日は真白に輝いて、僕の背中が温たかい。

 僕はずんずん年齢を取つて行く。僕は少年になつて仕舞つた。僕は錫製の犀の玩具(おもちゃ)を持つて居る。印度の砂が輝いて、僕の踵が温たかい。

 僕はずんずん年齢を取つて行く。僕は青年になつて仕舞つた。僕は一つの手紙を持つて居る。愉快な顔が輝いて、僕の心が温たかい。

 僕はずんずん年齢を取つて行く。僕は壮年になつて仕舞った。僕は可愛い赤坊の声を持つて居る。白い頭布(づきん)が輝いて、僕の額は温たかい。

 僕はずんずん年齢を取つて行く。僕は老人(としより)になつて仕舞つた。僕は大きい手やら小さい手やらで組れる大きな環をば持つて居る。限りない空が輝いて、僕の全身が温たかい。

 僕はもう年齢を取らない。到頭僕は死んで仕舞つた。僕は毎日種々(いろん)な祈祷(いのり)の声を持つて居る。この快活な魂が輝いて、僕の灰は温たかい。