高祖保の検印

『雪』 文藝汎論社、1942年

架蔵本を見る限りでは、少なくとも2種類存在する。

「宦南」

「玄澤」(?)

後者は判読にいまいち自信が持てないが、川上澄生宛献呈本の印である。神奈川近代文学館所蔵の木下杢太郎宛献呈本にもこれが使われている。献呈分と頒布分とで使い分けていたのだろうか。
いずれの印も、その表すところまでは浅学ゆえに分からない。人名としてならば、宦南は相鑑斎あるいは金玉仙としても知られる戦国時代の画家、玄澤は蘭学者・大槻玄澤だが、はたして自著の検印に他人の名前を使うものなのだろうか。この詩人のことだから、漢籍の故事成句に因んだものかもしれない。識者のご教示を乞う。

『夜のひきあけ』 太陽出版社創立事務所 青木書店、1944年

「呆人」

「保」をユーモラスに分解。裏表紙にもあしらわれている。装幀を担当した川上澄生の発案だろうか。

『高祖保詩集』岩谷書店、1947年(没後2年)

「保」

前2冊の印とは打って変わったシンプルさに、哀感が漂う。夫人が捺したのだろうか。

ちなみに、神奈川近代文学館所蔵本を見る限り、第1詩集『希臘十字』(椎の木社、1933年)と第2詩集『禽のゐる五分間冩生』(月曜発行所、1941年)は、検印なし。