『独楽』定稿閲覧記

高祖保の未刊詩集『独楽』の定稿が、彦根市立図書館にある。

それが昨夏、詩人の遺族より同館に寄贈されたことを、2010年度日本近代文学会関西支部秋季大会における外村彰氏の発表要旨で知った。

『独楽』が未刊に終わった経緯については、詩友の岩佐東一郎が次のように回想している。

私の『紙鳶』と同時に刊行すべく組版校正まで進んでゐたのに、彼の詩人的潔癖から五校六校と取つて、然も天眼鏡で一字でも疲れたり痛んだりした活字は全部取代へさせてゐた。いよいよ校了にならうと云ふ時に突如召集で、遂に未刊行となつて解版して了つた。私が押し切つて、印刷製本を引継いでとも考へたのだが、彼の細い神経ではとても承知出来ない事だらうと察して敢て口に出さなかつた。それは、彼の『雪』を刊行する時の彼が一冊の詩集を刊行する迄の愛情と熱意の激しさを充分知つてゐる私だけに。

「高祖保を憶ふ」 『高祖保詩集』 思潮社、1988年、142頁

なお、外村氏の評伝『念ふ鳥 詩人高祖保』(龜鳴屋、2009年)によると、それは限定署名本、定価5円、第3詩集『雪』と同じ横綴の造本で、岩佐東一郎と城左門の文藝汎論社より自費出版される予定だったという。

詩人の死後、『独楽』の詩篇は、岩佐と城の尽力で刊行された『高祖保詩集』(岩谷書店、1947年)に収録、散逸を免れた。その後『独楽』詩篇は、この岩谷書店版詩集から思潮社の現代詩文庫版『高祖保詩集』(1988年)にそっくり引き継がれ、現在それが『独楽』の「全篇」であるとされている。

だが、外村氏の上記発表要旨によると、それは詩人の遺した定稿どおりの姿ではないという。

出征直前まで、詩人が拘りに拘って準備を進めていた『独楽』という詩集、本来はどんな姿だったのか。それをこの目で確かめるべく、彦根に帰省した8月12日、駅に降り立ったその足で、彦根市立図書館へ向かった。

事前に定稿閲覧の許可は得ていたが、実際手元で見ることができたのはそのコピーであった。現物の原稿は傷みが激しいとのこと。ちらとその束を見せてもらったが、かなり茶色く酸化が進んでいる。こんな状態ならコピーの方がかえって有難い。モノクロなのが残念ではあったが。

組版指示や校正の書き込みが残る原稿を、持参した岩谷書店版および現代詩文庫版『高祖保詩集』収録の『独楽』と、一字一句照合していく。なるほど、確かに異なるところがいろいろある。

現在、現代詩文庫版に『独楽』全篇として収められているのは、以下の24篇である。

  • 征旅
  • 夢に白鶏をみる
  • 独楽
  • 半球の距離
  • 元朝
  • 大歳
  • 壁書
  • 寒蟲
  • 路上偶成
  • 家庭
  • 旅の手帳
  • 秋の人
  • 晩夏
  • 小さな時
  • ふらここ
  • 龍のひげ
  • 曇日
  • 忠告
  • 夏夜
  • 経過
  • 乖離
  • 退院

だが、定稿から復元してみると、詩人が意図した『独楽』は、以下のような姿であった。

独楽の著者に  田中冬二

独楽のやうに

  • 夢に白鶏をみる
  • 独楽
  • 半球の距離
  • 年のゆきき
  • 大歳
  • 壁書
  • 啊呍の行者
  • 寒蟲
  • 路上偶成
  • 家庭

旅の手帖

  • 夏山
  • 夜明け前
  • 旅の手帖

身のほとり

  • 秋の人
  • 晩夏
  • 小さな時
  • ふらここ
  • 龍のひげ
  • 曇日
  • 忠告
  • 夏夜
  • 経過
  • 乖離
  • 同居
  • 退院

巻末記

序詩について

年長の詩友・田中冬二から寄せられた「独楽の著者に」と題する序詩は、こんな風にはじまる。(括弧内はルビ)

菩提樹の並木 ガス燈
弗羅曼(フラマン)といふ古風な割烹店(レストラン)
亞字欄のある二階
和蘭芹の匂ひのキユンメル酒
しろい皿に鶇の焙肉と赤蕪
アルルの女の曲
そして季節は高祖君 君の歌ふ灰色一枚の冬


私のスクリーンは君をこんな風に映す
君には北方のかげがある
君の作品は錘のやうに重い
私は又何故か君の作品に厚地のスコッチの
冬服を着たゲルハルト・ハウプトマンを連想
する

そして、料理(=詩)は砂糖や塩が効きすぎてはいけない、甘さからさのなかに自らそのものの味を出すことだ、と助言めいた句が続く。
この原稿だけ他と用紙・筆跡が異なるので、田中から送られて来たものと思われる。タイトルに推敲の跡があり、はじめは「湖畔の月夜に著者へ」だったことが分かる。

目次について

定稿の目次プランは以下の通り。

 目次

独楽のやうに 十二篇     一三
旅の手帖 二篇二十三章    六三
身のほとり 十三篇      八七
独楽の著者に 田中冬二    五
巻末記            一一四


       版画 川上澄生

ここから、詩集は川上澄生の版画によって飾られる予定で、本篇は本来三部構成だったことが分かる。
ちなみに、川上澄生は高祖の第4詩集『夜のひきあけ』(青木書店、1944年)の装幀も手がけている。また、『独楽』と同時に刊行される予定だった岩佐東一郎の『紙鳶』にも川上の版画が使われている。

本篇について

28篇より成る。構成のみならず、収録詩篇にも岩谷書店版・現代詩文庫版(以下「従来版」)と異同がある。

まず冒頭作からして異なる。従来版では、火中に飛び込む蛾に自らをなぞらえる「征旅」だが、定稿にこの詩はない。初出誌は『日本詩』1944年12月号。外村氏は評伝『念ふ鳥』で、「出征が決まったおりの心懐を述べているとしか思えない。彼の"遺作"として、あとで「独楽」に追加されたものではないだろうか。」(346頁)と推測しておられたが、実際その通りだったのだろう。定稿の冒頭作は、暁の厳かな時を詠んだ「夢に白鶏をみる」である。これは、詩集全体の印象にも影響する大きな違いだと思う。

このほか、従来版にあって定稿に含まれていなかったのは、「爪」「忠告」の計3篇。ただし、定稿には「曇日」「夏夜」の間、102-104頁の3頁分抜けがあって(図書館によるとコピーの取り忘れではないという)、行数から、従来版と同じく「忠告」が置かれていたものと推測される。

逆に、定稿にあって従来版に含まれていないのは、「啊呍の行者」「面」「竹」「夏山」「夜明け前」「同居」の6篇。このうち「啊呍の行者」と「面」は、第4詩集『夜のひきあけ』からの再録。ちなみに表題詩「独楽」も『夜のひきあけ』からの再録である。(いずれも一部異同あり) 「同居」は、現代詩文庫版の「未刊詩篇」の部に入れられている「病牀詩集」の「月旦」に相当する(一部異同あり)。

定稿と従来版とで異同が顕著だったものが2篇あった。定稿の「年のゆきき」は、「一 越年」と「二 元朝」とから成るが、従来版では若者の出征を詠んだ「一 越年」がそっくり削除され「元朝」のみになっている。「大歳」は、定稿では最後の4行が時局に触れる内容で、従来版ではこれも削除されている。

また「寒蟲」において、従来版では以下のように表記されていた箇所の、

――  は天
――  は地

棒線のあとのスペースには、天と地を表す易卦の記号がそれぞれに入ることが定稿から分かった。岩谷書店版に収録する際、活字がなくて省略したのであろう。現代詩文庫版でもそのままになっている。

そのほかの詩篇でも、句読点・ルビ・アキ・リーダーの点数・漢字などに、細かな異同が散見される。

巻末記について

目次に項目が立っているが、原稿コピーにその文章は含まれていなかった。図書館によると、コピーの取り忘れではないという。これは残念であった。


この原稿、定稿といわれているが、岩佐東一郎の証言によれば、組版のあとにも5校6校と校正が重ねられているので、その間に高祖自身の手で何らかの変更が加えられている可能性は、否定できない。
だがもはや、詩人の意図を知るよすがは、この手稿のほかにはないだろう。

取ってきたメモやノートを見返しながら、この詩集、高祖保の書簡集と評伝を出してきた金沢の龜鳴屋が復元刊行してくれないかなぁ、などと念ふ、終戦の日であった。