雪の詩人・高祖保

「夜のからんからんに乾いた空気の、その底で」、高祖保の詩集『雪』を読む。

師走の夜ふけ、独坐する北向きの書斎は、寒い。
『雪』は、そんな場所で読むにふさわしい詩集である。

 雪もよひ


寒い。


わかい歯科医のもとへ 一句
「歯石(しせき)はづす 夜の皓(しろ)さに
隨毛鳴る」とかき送つて
その夜、まつしろいものに埋(うま)つて寝た。


寒い。


青い視野の奥のはうで
鵞ペンは、わたしの鵞ペンは寝たやうだ
行燈(あんどん)まがひの卓上電気(スタンド)も もはや 眠つたらしい
それから わたしの子供も 句帖も。


ところで
のこつた、眠らないのがただひとつ
膨らんで阿呆のやうな、きたならしい、このひだりの胸の哀求(あいぐ)律。


寒い。


夜のからんからんに乾いた空気の、その底で
うつかり 咳(しはぶき)をとりおとすと
発止!
それは青く火を発して 鳴つた。

高祖保は、1910年備前牛窓の生まれ。8歳で父と死別後、大学進学のため上京するまで母の郷里・江州彦根で暮らした。旧制彦根中学(現・彦根東高校)時代から文才を表しはじめ、百田宗治の『椎の木』やその衛星誌『苑』、岩佐東一郎と城左門の『文藝汎論』などに詩を寄稿した。1945年、34歳の若さで戦没するまでの間に残した詩集は、以下の6冊。

  • 『希臘十字』 椎の木社、1933年、限定70部
  • 『禽のゐる五分間写生』 月曜発行所、1941年、限定100部
  • 『雪』 文藝汎論社、1942年、限定150部
  • 信濃游草』 1942年(詩友・井上多喜三郎に献呈された一部限りの自筆詩集。のち全篇が『青芝』天童高祖保追悼号(1954年11月)に掲載。『高祖保書簡集』(龜鳴屋、2008年)には原本の写真とともに併截)
  • 『夜のひきあけ』 青木書店、1944年、2000部
  • 『独楽』(未刊)

没後、詩友らの手で、出征のため未刊のまま残された詩集『独楽』を含む『高祖保詩集』(岩谷書店、1947年)が編まれた。堀口大學が四編の悼詩を、岩佐東一郎と城左門が追悼文を寄せている。
現在、上記詩集収録の詩のほとんどは、思潮社現代詩文庫『高祖保詩集』で読むことができる。(書店で目にすることはまれだが。)

高祖保の詩はひんやりと冷たくて、白い。雪の如くに。事実、彼の詩は雪をモチーフにしたものが少なくない。第三詩集『雪』は殊に、雪深い。
温暖な瀬戸内海の港町に生まれた彼が、かくも雪に執着したのはなぜだろう。
それは、生家から追われるようにして移り住んだ彦根という古びた雪降る町の記憶が、彼の詩情の源泉であり続けたからではなかろうか。同じく彦根で育った私としては、そう思わざるを得ない。特に、『雪』でこんな詩を読むときには。

 雪

    雪は紋をつくる。皷の、あふぎの、羊歯の紋。
    六花。十二花。砲弾の紋。


江州ひこね。ひこね桜馬場。さくらの並木。

すつぽり、雪ごもりの街区。

星のうごかぬ、八面玲瓏と煙(けぶ)り澄んだ、銀張りの夜。

早寝の牀(とこ)で聴いてゐる。……プラステイックな宇宙(コスモス)のしはぶきを。(このとき、地球は鞠(まり)ほどの大きさしかない)

微睡(まどろみ)の睫毛はみてゐる。……囲炉裏に白くなつた燠(おき)を。(それが、宛らわたしの白骨、焼かれた残んの骨(ほね)に似る)

燠に化(な)つた榾(ほた)の呟き。――わたしの脊椎(せきつゐ)を外(はづ)しとつてする「洗骨式(せんこつしき)」を、……でなけれは、肉体の髄を焙(や)きつくしてする「風葬祭(ふうさいさい)」を、……そんな末枯(うらが)れた夢見もするわな。

老来(おいらく)の、炬燵に眠りたまへる母上よ。

あなた鬢(びん)にも、雪がある。

次のヴィヨン風の歌では、彦根への郷愁を粉雪に託していると思われる。

 去年(こぞ)の雪いづこ


かの夜半(よは)の
ねざめに あをき 窓玻璃(はり)に
散りこし粉雪(こゆき)
いづち ゆきけむ

というのは、彦根時代に彼はこんな詩を書いているから。

 雪


障子の外にはしろじろと暁が降り
微粉を撒いて吹雪はひつそり収つてゐる
鶴が啼いてゐる…


第一詩集『希臘十字』所収

高祖保の代表作ともいえる「みづうみ」。「白けた肉體」「白い思考」という詩句は、冬の彦根で見つけたのではなかろうか。

 みづうみ

    ほととぎす啼や湖水のささ濁り 丈艸


私は湖をながめてゐた
湖からあげる微風に靠(もた)れて 湖(うみ)鳥が一羽
岸へと波を手繰りよせてゐるのを ながめてゐた
澄んだ湖の表情がさつと曇つた
湖のうへ おどけた驟雨(スコール)がたたずまひをしてゐる
そのなかで どこかで 湖鳥が啼いた


私はいく夜(よ)さも睡れずにゐた
書きつぶし書きつぶしした紙きれは
微風の媒介(つて)で ひとつひとつ湖にたべさせていつた
湖 いな


貪婪な天の食指を追ひたてて
そして結句 手にのこつたものはなんにもない
白けた肉軆の一部
それから うすく疲れた回教経典(コオラン)の一帙


刻刻に曉がふくらんでくる
湖どりが啼き
窓の外に湖がある
窓のうちに卓子(テーブル)がある
卓子のめぐり 白い思考の紙くづが堆く死んでゐる
ひと夜さの空しいにんげんの足掻きが のたうつてそこに死んでゐる!
この夥しい思考の屍を葬らう
窓を展いて 澄んだ湖のなかへと

『雪』は、詩の情景によく合った造本も素晴らしい。
貼函の粕入り和紙はちらつく雪を、

横綴りのたっぷり余白をとった本文は、「すつぽり、雪ごもりの街区」を彷彿させる。

見返しの識語(「晩来風起花如雪」、劉禹錫の七言絶句「楊柳枝詞」より)にも、「雪」の字を使うこだわりよう。

150部限定の私家版ゆえ、手ずから貼ったであろう誤植訂正の小さな紙片からも、彼のこの詩集に対するこだわりと愛情が窺える。(「うぐひすぶゑ」「ひぐらしぶゑ」の「ゑ」を「え」に直している。)

堀口大學は、岩谷書店版『高祖保詩集』に寄せた悼詩「雪」で、彼を「『雪』の詩人」とよんだ。
ことほどさように雪は、そして第三詩集『雪』は、高祖保の象徴であった。
彼は生前、詩の中で自らの死に場所を雪で飾ったことさえあった。

――すでにわたしの半身は
いや総身までも まつたく土壌と化したらしい
粉雪のうつすら覆つた
れいの鼠季科の植物の根がたで…………
――それが斑雪(はだれ)になつて
春の跫おとが上のうへを発止と踏んでゆく
おやおや いつの間にか わたしの背にうち建てられてゐるのだ!
銘を鐫(え)りつけた 墓碑らしいものが
一基

――それを孺(いたいけ)な春の
往きすがりのこゑが 歌ひあげてとほる

『無為(なすなく)して
   生(しょう)を訖(をは)れるもの 高祖保
      ここに 眠る』………


「墓碑銘」後半部(『文藝汎論』 昭和13年1月)
引用は、外村彰 『念ふ鳥 詩人高祖保』(龜鳴屋、2009年)248-249頁より

だがあろうことか、雪の詩人・高祖保は、戦争によって雪の降らない南国ビルマの土にされてしまった。墓所多磨霊園にあるが、遺骨は未だ納められていないという。
今年は『雪』を携えて帰省しよう。彼の魂が宿ったこの本に、彦根の雪を見せてやりたい。

高祖保に関する資料(2010年現在)


書簡集

  • 外村彰編 『高祖保書簡集 井上多喜三郎宛』 龜鳴屋、2008年

書誌研究

  • 佐々木靖章 「高祖保主宰『門』の目次と解題―北国ルートの詩人たち(1)」 『文献探索2005』 文献探索研究会、2006年5月
  • 佐々木靖章 「高祖保著作年譜稿」 『文献探索2006』 文献探索研究会、2006年11月
  • 外村彰 「高祖保作品年表(一)」 『大阪産業大学論集 人文・社会科学編』 2号、2008年2月
  • 外村彰 「高祖保作品年表(二)」 『大阪産業大学論集 人文・社会科学編』 3号、2008年6月
  • 外村彰 「高祖保書目稿」 『滋賀大国文』 46号、2008年7月
  • 佐々木靖章 「高祖保著作年譜稿・補遺II」 『文献探索2008』 金沢文圃閣、2009年6月

評伝

  • 外村彰 『念ふ鳥 詩人高祖保』 龜鳴屋、2009年

エセー

  • 扉野良人 「湖の手帖(カイエ)」 『CABIN』 第10号、2008年3月
  • 内堀弘 「まるで小さな紙の器のように。」 『彷書月刊』 24巻9号、2008年8月


※『雪』の各種異装本について
『雪』の異装 - ウロボロスの回転