忘却術が語る明治記憶術ブーム

宮武外骨によれば、記憶術の流行に対抗して彼が『忘却法』を公にすると、それを真似た類書が出たという。真偽のほどは定かでないが、確認できた明治期の忘却術に関する著作を年代順に並べてみると、なるほど外骨の書が嚆矢となっているように思われる。

  • 宮武外骨 「心理学応用の忘却法」(明治27年3月1日記) 『つむじまがり』 山添平作 刊、大正6年
  • 枯木仙士 『記臆反面 新竒忘却法』 中川商店、明27年7月
  • 井上円了 『失念術講義』 哲学館、明治28年8月
  • 鶯亭金升 「珍発明失念法」 『団団珍聞』 第1027号、明治28年9月7日付
  • 宅間巌 著・桑原俊郎 閲 「自己催眠法(一名忘却法)」 『実験精神療法』 開発社、明38年10月
  • 楽鷹真人 編 「記憶と忘却」 『二宮翁教訓道話』 文錦堂、明39年10月
  • 高木壬太郎 「忘却論」 『基督教安心論』 梁江堂、明41年2月
  • 断雲居士 「主将ト心理、附忘却諸則」 『統帥心理学』 兵事雑誌社、明42年9月
  • 徳富猪一郎 「忘却の説」 『日曜講壇』第10、民友社、明44年5月
  • 村上辰午郎 「記憶と忘却」 『最新式実験催眠術講義』 金刺芳流堂、明45年5月

※「珍発明失念法」以外は近代デジタルライブラリーで読むことができる。

皮肉なことに、記憶偏重に対するアンチテーゼとしての色合いが強いものほど、当時いかに記憶術が流行していたか、記憶が偏重されていたかをよく記憶してくれている。以下、該当箇所を少しく書き出してみる。

その1 宮武外骨 「心理学応用の忘却法」(明治27年3月1日 記)

此忘却法は去る明治27年の頃、内田某、和田守某などいへる山師学者が、新記憶術を発明せしとて高価の伝授料を貪るにも拘らず、世俗に歓迎喧伝されて居たのが癪に触り、マジメに心理学上の法則を記述したのである。其後此忘却法に模倣して井上円了は『失念術講義』を著はし、杉山某は『新奇忘却法』といへるを著はして公刊した。

西哲云へり、忘却の必要なる度は記憶の必要なる度に均しと、真に然り、吾人が日常繁多の事物に接して見聞覚知するものゝ中には、永久記憶に存し置くべきものと、直に忘却して可なるもの、否忘却せざる可らざるものとの二種あり、則ち之を要言すれば、真善美の三者に関する観念は前項にして、偽悪醜は即ち後項に属す、然るに今其記憶し置くべき事を忘却する者のためには、坊間既に記憶法を説きし書冊多しと雖も、未だ曾て忘却の法則を述べしものあるを聞かず、是れ蓋し忘却は易く記憶は難しとするがためならん乎、然れども今世間を通観するに、其忘却して可なる事を記憶に存し、或は忘れんと思ふ心の忘れられずして、自己の心身を害し、日夜不快の念を懐ける人多し

その2 枯木仙士 『記臆反面 新竒忘却法』 中川商店、明27年7月

人類の眼は、唯り前面にのみありて後面になし、是を以て其心亦常に前途にのみ馳て背後を顧みず、数年以来、輿人多くは是れ前途記臆術の研究にのみ意を注ぎて、背後忘却法の講究を遺棄す、余輩嘗て聊か忘却の必要を感じ、既に輿人の遺棄して顧みざる忘却法の問題を拾揚げて、以て之を講究するに、其必要効験は、敢て彼の記臆術の必要効験に下らざるなり、然るを今日まて天下皆な全く之を遺忘したるは、如何にも怪訝の至り、社会の怠慢も亦太甚しと謂ふ可し、今や余輩新発明忘却法秘密の玉手箱を開く可し。

その3 井上円了 『失念術講義』 哲学館、明治28年8月

近日世上に記憶術を発明せる二三の人士ありて新聞広告上に其効能を吹聴せし以来図らずも社会の一問題となり世人大に其事に注意し此術に依て一足飛に大学者大智者とならんことを願ふものあり然るに予は曾て記憶術講義と題する書を世に公にし記憶術の何たる及ひ其利害得失の如何を諭し併せて記憶術は世人の予想するか如き効験あるものに非ることを弁明し是に依て大学者大智者とならんことを願ふは宛も卜莝人相等の方術に依て一攫千金の富を得んことを望むと同一にして一種の迷心なることを論述せり然り而して記憶術の正反対たる失念術即ち忘却術は記憶術其物より一層必要有益なるに世人更に其利益を説かざるは予ほ大に怪む所なり

その4 鶯亭金升「珍発明失念法」『団団珍聞』第1027号、明治28年9月7日付

※おもしろいので全文紹介。

記臆法と云ふ書世に広まり何うすれば記臆が出来る斯うすれば忘れぬと大枚二円助只取れて覚え方の稽古をする人多しとかや一躰全躰脳髄と云ふ代物が物を記憶させる道具にて是れがチヤンと覚える様に出来て居るのに何もわざわざ稽古をするにも及ばぬものをヤレ記臆法だ記臆術だのと騒ぐのは気が知ぬ理屈なり憚りながら金升などは何所に百円貸しが有る此処に五十円取る払ひが有ると云ふ事までチヤンと記臆して居るは和田守氏の教へを受ずとも万々差支へなし夫よりも失念したいと思ふ事澤山あり夫は外の事でもなく此方から取る貸金や払ひ扨は情婦の仕送りなどは記臆す可き事なれど向ふへ取れる金談事又は腦を痛める心配事眼をこすらせる愁嘆筋などは天窓から忘れて見たいと思つてもなかなか忘れられぬもの之を忘れずに居た日には何の位身躰の毒になるやら分らずサア爾う考へて見ると今の世には記臆法を学ばんより寧ろ失念する法を学ぶが結構上等殊の外怜悧で御座る今例の新発明に係る失念法あり左に御伝授申す可し但し此伝授料金二円丈は御念無く願ひ度ものだナア
一 遼東半島還附の六字を忘れんと思はヾ遼東の上等と覚え違へ半島を行燈と取り違へ還附をランプと間違へて置く可し若し夫でも時々胸に浮み来らば五万円五万円と唱へながら舌を強くつまむ可し
一 地代家賃の四字を忘れんと思はヾ「六ヶ月前納して請取を貰つたに違ひないぞ」ト反対に記臆して置けば前の四字はうつかりと忘れる事奇妙なり
一 盆暮を忘れんとする時は「いつも正月」と思ふ可し
一 親父の小言を忘れんと思はヾ花魁の写真を見る可し
一 不景気を忘れるには団々珍聞を読む可し
(まだ澤山有しがツイ失念したれば略す)

その5 楽鷹真人 編 「記憶と忘却」 『二宮翁教訓道話』 文錦堂、明39年10月

近来記臆法は、大いに世人に尊重せらるヽに至れり、成程記臆法は、必要欠くべからざるものなり、されど或る種のものに於ては、記臆法ほど、不必要なるものはなし更に言葉を換へて之を云へば、世上には、忘るべきものと、忘るべからざるものとの区別あり、然るにこの区別なく、みなよく記臆して、忘れざるは、甚だ宜しからぬことなり

その6 徳富猪一郎 「忘却の説」 『日曜講壇』第10 民友社、明44年5月

世に記憶の術あり、豈に忘却の術なからんや。吾人にして向上の精神、猛烈ならば、過去の記憶我に於て何かあらむ。