知の編集空間としての庭園

  • 桑木野幸司 「知の編集空間としての初期近代イタリアの庭園―Agostino Del Riccioの理想苑構想におけるインプレーザ、エンブレム、常套主題(loci communes)」 『地中海学研究』32、2009年、3-28頁

9月に出た同氏の「建築的記憶術、あるいは魂の究理器機」(『思想』1026、2009年、27-49頁)の姉妹篇。刊行順序は前者の方が先だが、後者の次に読むといい一篇。「建築的記憶術、〜」では、初期近代ヨーロッパで流行した記憶術の立体的情報処理方法が「キネティック・アーキテクチャー」として捉えられ、その知的創造力がフォーカスされた。「知の編集空間としての〜」では、建築的記憶術空間の具体例として、ドメニコ会士アゴティーノ・デル・リッチョ(1541-98)の理想庭園が、当時の知的文脈とともに活写される。
この理想庭園、実際に造営されたものではなく、デル・リッチョの園芸百科全書『経験農業論』でその構想が示されただけで、図面すら提示されていないという。いわば脳内のバーチャル庭園なのだが、その主要区画である「王の森」の外観は以下のようなものだという。

森は一辺一マイル(un miglio)の正方形状で、中央で十字形に交差する園路によって四分割される。区画の内部は、植栽によって迷路状の園路を描き、30ブラッチャの等間隔ごとに、グロッタ(人工洞窟)を設ける。四つの迷路区画内にそれぞれ八つのグロッタが置かれ、その総数は森全体で32にのぼる。各区画において、八番目のグロッタのみは、迷路の中央に位置するものとされるが、その他のグロッタについては明確な場所の規定はなく、樹林迷路の具体的な径路のデザインについても指定がない。

各グロッタには神話伝承や歴史、博物学などから取材した一つのテーマが割り当てられ、絵画や彫刻、自動機械人形などで飾り立てられる。このグロッタが、さまざまな記憶を収蔵する容器(記憶ロクス)の役割を果たす。そして、そこに収蔵される記憶内容を表象する、それぞれのテーマに対応する装飾群は、常套主題別に分類され、当時流行していたエンブレム(モットー・図像・エピグラムからなる倫理的格言)やインプレーザ(モットーと図像からなる個人的信条)文学における情報圧縮法の影響を強く受けているという。

デル・リッチョはこうしたグロッタ群を単なる知の保管庫ではなく、訪れることによって他の記憶をも刺激され、創造的精神活動が誘発される場としても捉えていたという。情報が爆発的に増大し、知のあり方が大きく変わろうとする時代に、人は圧倒的な量の知識をどのように処理し、活用しようとするのか。デル・リッチョの理想庭園構想は、16世紀におけるひとつの事例として興味ふかい。
なお、初期近代の記憶術を建築学の視点から研究する桑木野氏は、この技術の現代的意義を次のように述べている。

情報の立体化と指向性の付与を通じた、直感的なデータ操作。建築空間が可能性として秘める、認識補助機能やヒューリスティック(発見的)な側面の追求。文字と図像と空間の通底が生みだす、情報の多価性。いずれも記憶術が内包していたものだ。そして、精神内面と外部空間とを瞬時にシンクロさせるキネティック・アーキテクチャーの試みは、現代における三次元データベース構築へのヒントばかりか、身体そのものをOS化することが可能な境位さえをも示唆しているのである。

「建築的記憶術、あるいは魂の究理器機」 『思想』1026、2009年、44-45頁