高祖保の金沢 中篇
8月3日、昼ごろ武蔵ヶ辻の「めいてつ・エムザ」へ向かう。高祖保はこのあたりでこんな歌を詠んでいる。
当時、武蔵ヶ辻には三越金沢店があった。昭和5年に開店したばかりで、金沢でも指折りのハイカラスポットだったに違いない。
追記:絵葉書を入手した。三越金沢店(初代)は昭和5年から10年まで営業。(2016.6.5)
陸軍の営舎からだいぶ離れているけれど、ここまで足をのばすことがあったのだろうか。『念ふ鳥』によると、昭和6年5月に来沢した母と買い物をしている。*1 この歌はそのときの思い出に詠んだものかもしれない。
屋上より卯辰山をのぞむ。
浅野川をわたり、次に東山3丁目の永明寺を訪ねる。この寺も詩人にゆかりがある。『念ふ鳥』によると、当時の庵主・松本実厳と詩人の母が親しく、彼はよくこの寺を訪れていたという。ただし当時は上小川町というところにあった。寺では高祖保の永代供養をしているらしい。*2 詩人にまつわる話がなにか聞けたらと思ったのだが、表の扉はかたく閉ざされていて、誰もいないようだった。
しょんぼりして、すぐ近くの古本カフェ「あうん堂」に入る。古い岩波文庫のツルゲーネフ『散文詩』(神西清訳、昭和10年)をもとめて、お茶を飲む。つい読みこんで長居してしまう。出がけに、ご主人に寺が閉まっていたことを話してみた。すると、同じ町内会でよく知っているからと、いっしょに再び寺まで行ってくれたのだが、やっぱり無人だった。
永明寺がもとあった上小川町という地名は、今はない。東京に戻ってから昭7年の金沢市街地図を取り寄せてみた。上小川町は卯辰山の麓、現在の東山2丁目あたりだったことまでは分かった。
あうん堂をあとにして、卯辰山にのぼる。さきほどの歌は、卯辰山の樹々を遠方から眺めて詠まれたものだったが、同時期の次の歌は、その樹々の下で詠まれたものだろう。
ま日なかに風あし著るし盛りあがる山路左右の樹々の葉の蒼海(うみ)
『香蘭』9巻7号(昭和6年7月)
しかし8月ま日なかの卯辰山は過酷だった。風ひとつ吹かず、歩を進めるごとに汗は噴き出し、立ち止まれば蚊にたかられ…歌の世界を味わうどころではなかった。
こりゃたまらんと早々に山を下り、徳田秋聲記念館と泉鏡花記念館をハシゴして涼む。鏡花本にうっとりしたあと、久保市乙剣宮の境内をゆらゆらと抜けて、裏手の暗がり坂を下りかけたところで、こんな歌が聞こえてきた。
浅野川のほとりから犀川へ。川岸をぶらぶらしているうちに日が暮れてゆくのだった。
白体の蛾ひとつあそぶ灯(ほ)あかりやこの夜穏(おだ)しくわれに闌くるを
『香蘭』9巻7号(昭和6年7月)