『ぽかん』3号

真治彩さんの雑誌『ぽかん』3号が出た。前号から約2年ぶり。

「本そのものより読書という行為をテーマに」のコンセプトが気に入って、1号、2号と愛読していた。外村彰氏の連載「多喜さん漫筆」を読んで、井上多喜三郎ゆかりの京都「れんこんや」や八日市「ABC食堂」、そして故郷・老蘇を訪ねたりしたのは、よい思ひ出。

さて3号は、「ぽかん編集室」で予告されていたように、編集方針から判型、本文の組み方までがらりと変わっている。さらに付録が二つつく。「のんしゃらん通信」と「ぼくの百」ポスター。本誌と「ぼくの百」を飾る林哲夫氏のコラージュが渋い。これまでのおもむきは「のんしゃらん通信」の方に受け継がれているようだ。前号までが可愛らしい鉢に盛られた彩り豊かな海鮮丼だったとすれば、今号は個性的な三つの器に盛られた三品定食といったところか。

本誌の山田稔「名付け親になる話」は、誌名の由来をめぐるエッセイ。候補として「ぽかん」・「こないだ」の二つがあったことが明かされる。前者は山田氏の短編小説のタイトル、後者は山田氏のエッセイ(「一枚の質札」かな?)に出てくる真治さんお気に入りの言葉。

短編小説「ぽかん」は、『リサ伯母さん』(編集工房ノア、2002年)におさめられている。定年退職した元英語教師が、昔の文学仲間二人と同人誌を出すことになった。その名前が「ぽかん」。「始めてから五年でやっと次が三号」という設定が、真治さんの『ぽかん』とちょっと似ていて、なんだかおかしい。選にもれた「こないだ」の方は、山田氏が引き取って自身の同人誌につけることに。が、エッセイの最後で思わぬ結末が語られる。

「こないだ」の顛末にハッとしたあと、ページをめくれば外村彰氏の「多喜さん漫筆」が「このあいだ、」と始まる。編集の妙というものを感じた。

妙といえば、本誌のコラム「シネマのある風景」は山田氏のエッセイ集のタイトルだし、「のんしゃらん通信」の「のんしゃらん」は、山田氏が「日本小説を読む会」の会報に匿名で書いていた戯文に因むのかな、と考えると、真治さんの山田氏に対する敬愛ぶりがうかがえる。

編集後記で今後は年に3回くらい出すことが「予言」されている。ぜひ当たってほしい。

※本誌には縁あって小生も短文と写真を寄せている。外村氏の隣に配されていて、汗顔の至り。