高祖保と地方詩壇

  • 東海詩人協会編 『東海詩集 第三輯 昭和三年版』 東文堂書店、1928年7月15日

第5回扶桑書房一人展にて。東海地方在住の詩人を中心とする団体の年刊詩集。
これに当時、彦根で浪人していた18歳の高祖保が散文詩2篇を寄稿している。





巻末の年表によると、高祖保は昭和3年5月から新会員になっている。だがこの協会の年刊詩集はこれで最後となった。滋賀から一緒に入会した石田象夫は、のちに高祖らと彦根で文芸誌『門』を創刊する。

南江二郎(のち治郎)以下、『青樹』の天野隆一・左近司・相澤等、『轟々』の半井康次郎・関澤源治・北村草之助ら、京都詩壇の面々も入会したことになっているのも興味深い。南江二郎は、前年の昭和2年7月に天野隆一らと京都在住詩人の団体である京都詩人協会を設立し、同年12月に年刊詩集『京都詩集 昭和二年版』を刊行している。京都のこの協会は長続きせず自然解散し、年刊詩集も1冊で終わった。その後南江と天野らは、昭和3年8月に京都詩話会を結成、同年11月に年刊詩集『詩経』を出す。こちらは第五輯(昭和7年)まで続いた。*1
高祖保はこの京都詩壇の動向にも通じていたようで、『轟々』昭和3年2月号に『京都詩集 昭和二年版』の書評「京都詩集を観る」を寄稿している。*2
高祖保はその後、昭和3年9月に詩歌誌『処女地』を創刊。その第一輯に今度は『轟々』の関澤源治が、高祖の人物評「覚書 高祖保氏についての印象のやうなもの」を寄稿している。*3『処女地』は1冊出たきりだったようで、翌昭和4年1月に、高祖は石田象夫らと文芸誌『門』を始める。『門』の寄稿者には、上記『青樹』『轟々』『京都詩集』『詩経』などの寄稿者である、京都詩壇の南江二郎・竹内勝太郎・明石染人が、また東海詩人協会の会員だった春山行夫がいた。*4

高祖保の活動を通して昭和初年における地方詩壇の交流が垣間見える。以上を表にまとめておこう。

名古屋
京都
大正
15
10月『東海詩集 第一輯』刊行    
昭和
2
7月『東海詩集 第二輯』刊行   7月 南江二郎ら、京都詩人協会設立
12月 京都詩人協会編 『京都詩集 昭和二年版』刊行
昭和
3
7月『東海詩集 第三輯』刊行 2月 高祖保、『轟々』(京都)2月号に書評「京都詩集を観る」寄稿
5月 高祖保・石田象夫、東海詩人協会に入会
7月 高祖保、『東海詩集 第三輯』に詩「暮れゆく一九二七年」「蒼白き虚無の一頁―或は「荒唐無稽な祖先の遺書」」寄稿
9月 高祖保、詩歌誌『処女地』創刊
5月 南江二郎・天野隆一・左近司・相澤等・半井康次郎・関澤源治・北村草之助、東海詩人協会に入会
8月 南江二郎・天野隆一・明石染人・俵青茅、京都詩話会結成
9月 関澤源治、『処女地 第一輯』(彦根)に「覚書 高祖保氏についての印象のやうなもの」寄稿
昭和
4
7月 春山行夫(東京在住)、『門 第四輯』(彦根)に詩「台湾」寄稿 1月 高祖保、石田象夫・黒部政二郎と文芸誌『門』創刊(昭和5年12月まで全八輯) 3月 南江二郎、『門 第二輯』(彦根)に詩「彼と食事」寄稿
7月 竹内勝太郎、『門 第四輯』(彦根)に詩「日時計」「土の感情」寄稿
11月 明石染人、『門 第六輯』(彦根)に詩「日月流転」寄稿。南江二郎、同誌に随筆「出口さんの人間味」寄稿

*1:河野仁昭 「京都詩壇」 『京都の大正文学』 白川書院、2009年

*2:外村彰 「高祖保作品年表(一)」 『大阪産業大学論集 人文・社会科学編』 2号、2008年2月

*3:外村彰 『念ふ鳥 詩人高祖保』 龜鳴屋、2009年、128-130頁

*4:佐々木靖章 「高祖保主宰『門』の目次と解題―北国ルートの詩人たち(1)」 『文献探索2005』 文献探索研究会、2006年5月