高祖保と左川ちか

  • 『左川ちか全詩集 新版』 森開社、2010年

錆びない言葉で切りとられたその詩の世界は、「いつまでもをはることはないだらう」。
新版になって、詩と散文が数篇増補されたのは嬉しい。が、旧版にあった18篇からなる追悼録が省かれてしまったのは、惜しい気がする。詩人としてわずか5年しか生きられなかっただけに、同時代人の記憶は貴重である。このなかには『椎の木』を通じて交流のあった高祖保の追悼文もあった。

 「われた太陽」 高祖保


左川さん。
あの秋央ばのうそ寒い夜。あの銀座で椎の木の会があつた夜。卓子の左手には初対面の岩佐、城さんの二人。向ふ側には焦茶の洋装のつつましやかな女流詩人がひとり。さうです。それが首めてお目にかかつたあなたなのでした。
帰りの電車では、何でも北海道がどうの、東京が、兄さん(川崎昇氏)がどうのと、とりとめない身辺雑話風の話をとり交して、お別れしたことを、うろ憶えに憶えてゐます。
それがもう三年ごしになりますね。(あれから屢々お目にかかる機会がありましたし、幾多の力作を拝読しました。)そのあなたが、たつた今、白玉楼中に去られたのだと、かう自分にいひ聴かせてみても、左川さんと呼べば立ちどころに響く気がして、まるつきり虚構としか考へられないのです。だから、かなしみとか愕きとか悔みなどの感情をうち超えた、もつと底深く幅もひろい「呆然」たる気持ばかりが、雲のやうに頭をいつぱいに埋めてゐます。
左川さん。あなたの敬虔なお作について、今更差出がましい口をきかうとは思ひません。ただ「Finale」――あれが、わが目にふれたお作のFinaleとなつて了つたといふことです。その呪咀的な「われた太陽」の歌。あの文字から、へんに執拗な、因果めいたまた予言的なひびきすら、私は覚えさせられるのです。
しかし、今はそれすら詮ないひびきとなりました。左川さん。澄んだあなたのたましひの天路歴程に、あけくれ恙なかれと、その数行をとり出して読み、かうして私はしんそこからなる黙祷をささげるものです。


   衰へた時が最初は早く やがて緩やかに過ぎてゆく
   おくれないやうにと
   枯れた野原を褐色の足跡をのこし
   全く地上の婚礼は終わつた
              ――Finale


『左川ちか全詩集』 森開社、1983年、235-237頁
初出:『椎の木』 第5年第3号(1936年3月)

引用された詩の全文は次の通り。

 Finale


老人が背後で われた心臓と太陽を歌ふ
その反響はうすいエボナイトの壁につきあたつて
いつまでもをはることはないだらう
蜜蜂がゆたかな茴香の花粉にうもれてゐた
夏はもう近くにはゐなかつた
森の奥で樹が倒される
衰へた時が最初は早く やがて緩やかに過ぎてゆく
おくれないやうにと
枯れた野原を褐色の足跡をのこし
全く地上の婚礼は終わつた