Enchiridion 25-1 ロジャー・アスカム その1

ロジャー・アスカム 1515-1568 ※1

ドイツへ発つ前に、私はご愛顧賜ったかのやんごとなきレディ、ジェーン・グレイ※2に暇乞い申し上げるべく、レスターシアのブロードゲイトに立ち寄った。公爵であらせられた彼女のご両親は、家中の者に紳士淑女を引き連れ、猟園で狩の真っ最中だった。彼女はお部屋でプラトンの『パイドン』をギリシア語で読んでおられた。その姿はあたかも、世の紳士がボッカッチョの笑い話でも読むかのごとくに楽しげなのだった。ご挨拶してお暇を乞い、少し言葉を交わしてから、私はなぜ貴女も猟園で気晴らしなさらないのですか、と尋ねた。彼女は微笑んで答えた。
「猟園でのお遊びならわたくしにも心得があります。でもね、プラトンの楽しみに比べたら、そんなもの全部影みたいなものじゃない。あぁ、みんな本当の楽しみってものを知らないのよ。」
「ではお嬢様、貴女は如何にして、」 私はまた尋ねた。
「楽しみについて、かくも深遠なる見識を身に付けられたのですか?何が貴女をそうしたものへ向かわせるのですか?ご婦人方はおろか、男でも滅多にそうはまいりませんのに。」
「教えてあげるけど、」 彼女は答えて言った。
「本当のことだけに、あなた、もしかしたら訝しむかもしれないわ。それはね、わたくしがこれまでに神様から授かった賜物のなかでもいちばん素敵なものでね、賢明厳格な両親と、それから、お優しい先生なのよ。お父様やお母様の前ではね、話すときも、黙るときも、座るときも、立つときも、歩くときも、食べるときも、飲むときも、喜ぶときも、嘆くときも、縫い物をするときも、演奏するときも、踊るときも、何をするときでも、まるで神様がこの世をお創りになったときのように重々しく、決まった作法と手数を踏んで、しかも完璧にこなさないといけませんの。さもないと、ひどく叱られて、それは恐ろしいの。時にはそれだけじゃすまなくって、抓ったり、はさんだり、打ったり、ほかにもいろんなことをされて叱られるのよ。忍耐の名誉のために、これ以上は申しませんけど。だからしくじると、地獄にでも落ちたような心地なの、エルマー先生のところへ行くまではね。先生は、それはそれは優しく楽しく教えてくださるわ。お勉強に夢中になるので、先生と一緒にいる時はずっとうっとりしているの。だから、先生のもとから呼び戻される時間になると、涙がこぼれるわ。だって、お勉強のほかにわたくしのすることなんて、悲しいこと、悩ましいこと、恐ろしいことがいっぱいで、全然楽しくないんですもの。ですからね、この本がこの上ない楽しみなの。毎日次から次へと楽しませてくれるから、そのことではほかのどんな楽しみも、本当にただただつまらなくって、わずらわしいだけなの。」
私はこの会話を思い出すと嬉しくなる。記憶に価する素晴らしいものだったからであり、また、これがかの気高く徳高きレディと交わした最後の会話であり、そして最後のお目通りだったからである。


『教師論』 第1巻


Alexander Ireland (ed.), The Book-Lover's Enchiridion, 5th ed., London, Simpkin, Marshall & Co., 1888, pp.18-20.

※1 ロジャー・アスカム(Roger Ascham)は、英国の人文学者。ケンブリッジギリシア語講師をへて、エリザベス1世の個人教師、エドワード6世・メアリ女王のラテン語秘書官をつとめた。著書に『弓術論』(1545)、死後発表された『教師論』(1570)。
※2 ジェーン・グレイ(Jane Grey, 1537-1554)は、ヘンリー7世の曾孫。ノーサンバランド公ジョン・ダドリーの野心によりその子ギルフォードと結婚させられ王位を継いだが、メアリ派の反抗と民衆の蜂起により在位9日で逮捕され、のち夫とともに処刑された。才色兼備で知られる。漱石が『倫敦塔』で、その最期を妄想している。