文庫本の高祖保

石神井書林古書目録」84号に、高祖保の第2詩集『禽のゐる五分間写生』を見つけたときには、たまげた。思わず箸を握り折り、ほおばっていたブロッコリー吹き出しそうになった。夕食中のことである。

取るものも取り敢えず注文を出したのだが時すでに遅し、ほどなく売り切れ御免の返事が届いた。全く迂闊であった。
高祖保の詩集収録作品は現代詩文庫であらかた読めるが、愛好者にはやはり刊行当時の原本で読むのが夢である。殊に『禽のゐる五分間写生』は、詩友・井上多喜三郎による造本を、高祖自身非常に気に入っていた一冊だったので、ぜひ入手したかった。京都の善行堂で、復刻版を山本氏に見せてもらったことがある。表紙の貼り絵がかわいい、小さなポケット詩集だった。
小さな、といえば、高祖保の詩を収録した文庫本が、知る限り2冊ある。

  • 『現代詩人全集 第8巻 現代IV』 角川文庫、1960年

「四季」「コギト」「椎の木」ゆかりの叙情詩人らをおさめた巻で、高祖保は乾直恵と立原道造に挟まれている。収録作品は、第1詩集『希臘十字』より「希臘十字」「海燕と牛」「Lethe」「牧歌的」、第2詩集『禽のゐる五分間写生』より「湖のcahierから」、第3詩集『雪』より「乖離」「孟春」「雪もよい」、第4詩集『夜のひきあけ』より「啊呍の行者」、未刊詩集『独楽』より「夢に白雞を見る」「路上偶成」「旅の手帳」「経過」の13篇。
巻末の解説で、村野四郎は次のように評している。

高祖保ほど強固なフォーマリストを、この期の叙情詩人の中に見出すことは困難である。彼の詩は、もっとも人生的でないという点で、いわゆる最も芸術派的であったともいえるのである。構成的だといえば、そうもいえる。こうした詩人の制作過程においては、モチーフが言葉を生むのでなくて、言葉がモチーフをつくり上げるのである。しかしこのような極端な形式主義的モラルは、彼の叙情詩に或るユニークな美学を与えたが、他方人間的な想像力の展開に一つの限界をおいたとも見られる。

  • 小川和佑 編 『埋没した青春 青春の記録3』 現代教養文庫、1976年

戦前から戦中・戦後にかけて夭折した詩人・作家のアンソロジー。第3詩集『雪』の抄録として、「乖離」「みずうみ」「Sine qua non」「哀訴」「山下町の夜」「茅蜩記」「野」「鶯」「海へ」「河」「からす」「淡採」「弧笻わけ入る山」「七月」「六月」「樹の下」「冬蝶」「草店月初冷」「くれない」「呂律」「『落葉哀蟬曲』を読む人」の21篇がおさめられている。
高祖保以外の収録作は、水戸部アサイに捧げられた立原道造の散文「物語」と、彼女宛の書簡15通、矢山哲治の自伝的小説「十二月」、久坂葉子「ドミノのお告げ」(「落ちてゆく世界」)、広津里香の手記「Note de Vivi」、詩人・磯村英樹の息子・磯村冬樹の遺文集「冬魂」。なかなかユニークな一冊である。高祖保が久坂葉子広津里香と一緒に並んでいるのはちと違和感があるけれど。
編者はいう。

高祖保の夭折は、本書に収録した夭折者の中にあって、最も痛切にその死をいたまれるべきであろう。第四詩集『夜のひきあけ』とともに、高祖保の文学的生涯は閉じられることとなる。時代転換、その選詩集もいまは埋れた。華麗な立原道造の詩的生涯や、文学的伝説と化そうとしている矢山哲治、久坂葉子の夭折に較べて、高祖保の夭折が、決してそれに劣っているとは考えられない。

こういうのなら廉価で容易に入手できるのだが、いかんせん詩の味読にはあまり向いていない。