高祖保の装幀

  • 八幡城太郎 『相模野抄』 青柳山房、1943年


『相模野抄』は、俳人・八幡城太郎の第一句集。A6判・角背・上製カバー装の小型本である。上の写真は復刻版(青芝俳句会、1973年)。以下、そのあとがきより。

何はさて、この句集の一切は、戦争で死んだ高祖保が装幀・編輯・金銭のこと全部をまかなつてくれた。印刷は岩佐東一郎氏の知つてゐるところで、題字は田中冬二氏にと彼が頼んでくれた。このお二人はその時、彼によって紹介されたのだと思ふ。
(中略)
昭和六年から始まつた戦争も末期的症状を呈しはじめた、物資缺乏、国力消耗の世の中へ二百数十冊送り出された。それは高祖保の美しさではなかつたかと思ふ。

八幡は高祖晩年の友人。1942年秋、二人は連れ立って諏訪在の田中冬二を訪れ、諏訪湖松原湖・小諸・軽井沢を巡る旅をした。高祖の自筆詩集『信濃游草』*1はそのときの思い出を短章で書き連ねたもので、八幡が詠んだ句や二人で合作した句を含む。八幡の『相模野抄』にもこの旅の句が収められているほか、詞書に高祖保と高祖夫人の名を含む句が散見される。二人の友情を証する句集である。
高祖の死の翌年1941年4月29日、八幡は住職をつとめる相模原市の青柳寺で追悼句会を催した。列席者は八幡のほか、岩佐東一郎那須辰造・城左門・笹沢美明・十和田操。このときの句が八幡主宰の俳句誌『青芝』天童高祖保追悼号(1954年11月)に収載されている。八幡が捧げたのはこんな句。

保忌のかそかにもるるオルゴール

  
『をぢさんの詩』は、B6判・並製。これについては以前取り上げたことがある。

なお、同書は太陽出版社版のほかに武蔵書房版もあるが、装幀は同じである。

*1:外村彰編 『高祖保書簡集 井上多喜三郎宛』(龜鳴屋、2008年)に、全頁の写真入りで復刻・併載。