瀧井孝作と櫻井書店

  • 瀧井孝作 『琴の物語』(少年のための純文学選) 櫻井書店、昭和22年初版、昭和25年重版

先月はじめに、田村書店の店頭で見つけた。初版600円、重版400円だった。

初版の装幀と扉絵は里見勝蔵、挿絵は鈴木信太郎

重版の装幀は寺田政明にかわっている。扉絵と挿絵は初版と同じ。

戦中から戦後にかけて気骨あふれる出版活動を繰り広げた、櫻井均の個人出版社・櫻井書店(昭和15年〜35年)。宇野浩二 『夢みる部屋』、上林暁 『晩春日記』、稲垣足穂 『彼等』など、渋い文芸書を精力的に出す一方で、児童書出版にも意欲的に取り組んだ。「少年のための純文学選」は、櫻井が戦後心血を注いだ企画の一つ。2期に分けて昭和22年に9タイトル、昭和24年に6タイトル出した。収録作家は、第1期が武者小路実篤志賀直哉、徳永直、小川未明坪田譲治宮沢賢治、塚原健二郎、壷井栄瀧井孝作。第2期は佐藤春夫豊島与志雄夏目漱石幸田露伴国木田独歩森鴎外
第1期の初版と重版で装幀が異なることになったエピソードから、櫻井の頑固さがうかがえる。後年、自身で次のように語っている。

『少年のための純文学選』の表紙は安井曾太郎さんが描くことになっていた。あれ描いてくれればよかったんだが、安井さん、眼を悪くしていた。それで湯河原の中西旅館に滞在していて、東京に帰ったら描くということになっていた。それが間に合わない。組んで、刷って、表紙が間に合わない。しょうがない、里見勝蔵さんに頼んだ。安井さんには一万円の画料ということで頼んでいた。僕は里見さんがフランスから帰ってきた頃、曽宮一念さんなんかと仕事をしてる頃の、あの茶系統の絵が好ましいと思っていた。だれが使いに行ったのか、その里見勝蔵さんに一万円で頼んじゃったんだ。その上里見さんは原画返してくれと言ってきた。昭和三十年に著作権法が出来たが、僕の頼んだのは二十二年頃で、慣例ではまだ所有権はこっちにあるし、再版の時に原画がないと困る。それを返してくれと言う。不愉快だった。西村晃君だったかな?だれかに返しにいって貰ったが、先方は「六号の代わりの絵を桜井さんにはあげるから」と言っているそうだ。だが、「そんな絵はいらない。こちら装幀に頼んだので、再版の時に必要な装幀画なんだ。それを返してくれ、と言うから返すが、代わりの六号の絵なぞいらん」と、「代わりの六号の絵は目の前で引き破って来てくれ」と言った。その後なんの報告もないから、どうなったか聞かないが実際後では別の装幀になった。

山口邦子『戦中戦後の出版と桜井書店』慧文社、2007年、213-214頁

櫻井毅 『出版の意気地―櫻井均と櫻井書店の昭和』(西田書店、2005年)によると、里見勝蔵が装幀の原画を返してくれと言ったのは、「原画を本の寸法にあわせるための微妙な修整のことで里見と櫻井のあいだに意見の衝突があった」(68頁)ためらしい。

ちなみに里見勝蔵が描いた扉絵の方は、初版でも重版でも使われている。

ところで、櫻井均と瀧井孝作は釣仲間だった。櫻井の随筆集『奈落の作者』(文治堂書店、昭和53年)は、半分が釣随筆なのだが、瀧井との釣りの思い出話がいくつもおさめられている。瀧井の釣随筆にも、櫻井が登場するものがいくつかある。
山口邦子『戦中戦後の出版と桜井書店』によると、二人が一緒に釣りをするようになったのは、この『琴の物語』がきっかけだった。もともと釣り好きだった櫻井が、「少年のための純文学選」シリーズに同書を入れるべく瀧井と面会した際に彼も釣り好きであることを知り、以来同行させてもらうようになったのだという。

そんな縁もあって、『琴の物語』のあと、櫻井は瀧井の随筆集を2冊出した。『生のまま素のまま』(昭和34年)と、『海ほほづき』(昭和35年)である。ともに著者自装。外箱の装画には、陶芸家・井上郷太郎から譲り受けた漢瓦当の拓本が用いられている。
表・「上林」、裏・鹿模様

表・「長生無極」、裏・古代動物模様(海老?)

瀧井はこのスタイルで、志賀直哉の『夕陽』(昭和35年)の装幀もしている。これが櫻井書店最後の本となった。
表・「都司空瓦」、裏・朱雀模様

表紙は赤。タイトルと外箱の朱雀に対応している。伝説の出版社の最後を飾るにふさわしい意匠だと思う。

瀧井はこの瓦当の拓本を用いた装幀がよっぽど気に入ったらしく、大和書房から出した小説集『野趣』(昭和43年)の外箱にも採用している。
表・「長生無極」、裏・「衛」