2019年の約10冊

古書の10冊

水蔭萍『燃える頬』河童茅舎、1979年


映画『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』(2015年 台湾)で忘却の淵より浮上した水蔭萍(楊熾昌 1908-94年)の第三詩集。限定75部。
1933年から1939年まで「詩学」「椎の木」「神戸詩人」「媽祖」「華麗島」「文芸台湾」「風車」等の雑誌や、「台湾日日新報」「台湾新聞」「台南新報」等の日刊紙に発表したという作品が集められている。戦火で資料蔵書一切を焼いたため、戦禍を免れた友人のスクラップブックから編んだという。「風」の詩語がよく出てくる。台南の海と街を彷彿させる。
ちなみに第一詩集『熱帯魚』はボン書店から75部出したとあとがきにあり、その発行年は1930年と巻末の著者目録にある。しかしこの年ボン書店はまだない。エッセイ集『紙の魚』のあとがきでは1933年、同書巻末には1932年とあり、詩人の記憶は一定しない。ボン書店の詩誌『詩学』に寄稿していたのは確かなので、鳥羽茂と親交があり彼が第一詩集の世話をしたのは事実なのかもしれない。

  風の音樂

春の息はをののいて、菫の歌がかほる
菫の匂ひの中に少女たちの菫色の睡眠がある

白々しい孤獨の樂器
杳い愛の歔欷があり
忘られた薔薇色の花がギタールの弦の上に落ちる

少女の唇の紅い言葉
果樹が散香(にほ)ふ古風な夜

古里の祕密な樂(がく)の音がきこえ
私の頬に風の接吻(ベエゼ)がとける

  雄鷄と魚

花束の風は波間に靑い
香氣の風よ!
夜が貝殻の愛にむせび
雄鷄は季節の踊歌をうたう
墜ちるセラフイムの歌
淡白の星群は天の秘密にふるえ
湖礁の水脈(みを)に縞が流れる
魚域の上に漾ふ蝶
匂える季節の夜明である

  蒼褪めた歌

老いた空に、
月もない囘想が眞白い葩にうづもれ
私の詩は片々と季節風の中に
溶けていつた
窓の下、いちめんにこほろぎが泣いて、
瑕ある心傷の風貌は蒼ざめはてた
黃昏にかなでる風琴は
飛び散った行衛しらない詩ばかり……
蝶は揚る
自殺者の白い眼におびえて散る病葉の
音樂のなかに
私は風景のかぜをひくのだ


水蔭萍『紙の魚』河童書房、1985年


エッセイ集。限定100部。装画・挿画は福井敬一。序文も寄せている。戦後新聞記者として書いたもの(時事評論、随筆、紀行)がほとんどだが、1930年代の散文や詩も数篇ある。

土器の音響と土人の口唇から洩れる酒歌、蕃山の夜明けはエスプリの本質である。

土人の口唇」(『風車』第3号(1934年3月))より

私は風の吹いている街の中を歩いている氣持であり、今にいたるも變りはない。黃昏れる灯のついているのはみな人の住んでいる家である。そして私はやはりどこまでも風の中を歩いているのであるが、一體だれがそれを私にさせるのかわからない。

「殘燭の焰 燒失した作品の囘想と女性とのロマン」(1984年9月)より


冬木胖『十七歳』私家版、昭和12年


著者自装、限定50部。扉の次に「冬木私版本第壹回作品」の表記あり。堀口大學が序文を寄せている。奥付から宝塚在住であることがうかがえる。同じ装幀で「冬木私版本第壹貳回作品」として詩集『五七五』(昭和13年)もあり。

  噴水

月夜の園の鶴夫人(マダム・シゴオニュ)の扇

初出は「パンテオン」2号(昭和3年5月)。この一行詩を高祖保は詩「孟春」のエピグラフに掲げている。


加藤健『りんごの枝に』私家版、昭和19年


第十詩集。和装本、筒袋付。編集・臼井喜之介。生前最後の詩集。詩人は昭和20年1月10日没。

  郭公鳥

市街(まち)を離れると、
田圃をこめて、河原に沿ふて、
夕暮れの闇が、立ちよどんでゐた、
しづかな風が、頬にふれる、
自分を、自分の肉體を、かへりみなかつた、此處の、幾月、
自身を滅却するのだ、
ひた向きに馳る、自動車のなかで、私は、
いまゆく患家の幼兒と、臥す父の姿とが、
心魂(こころ)に、まつはりついてくるのを嚙みしめた、嚙みしめる、—
郭公鳥(かつこう)が鳴いた、

山脈のかげに、靑い林檎の悲しみを感じた。

※詩人は盛岡で医者をしていた。


『片山敏彦遺稿』私家版、昭和36年


カバーにあしらわれているのは、ラヴェンナのガッラ・プラチーディア廟のモザイク。

  コバルトの妖精

コバルトの妖精よ
君の靑さがはつきり見える。
靑の中の コバルトの靑。
子供のとき ほくはふるさとの海邊で君を見た。
君は空にかかつて
つばさを伸ばしていた。
ぼくは地中海で君に出會つた
マリアの服の
日の當たる部分に
君が居た。

61・3・27


天野美津子『車輪』臼井書房、1953年


  ろうそく

まつすぐにまつすぐに
意欲にたぎつている瞳だ
風にも吹き消されず
鳴つている旗じるしだ
 が 金色の夢の中にすつくと一本
白い骨の死んでゆくのが輝いてみえるばかりだ


天野美津子『赤い時間』ブラックパン社、1957年

たつた一枚きりしかない
生ぬるい衣服
それがこの世の牢獄だった
つながれたものの悲しみが
わたしを狂えるイヴにした

「宴」より


天野美津子『零のうた』文童社、1963年

  風のある日

髪を逆立て
炎のように燃え上る
山の端の孟宗薮よ
空の上で男神と女神は叫びたまう
一日に百人とり殺してやる
一日に百五十人生んでやる


尾崎与里子『はなぎつね』近江詩人会、1978年


第一詩集。詩人からいただいた。ありがたし。印刷は双林プリント。限定300部。手ずから制作をしたであろう大野新が跋文「はなぎつねの座」を寄せている。はなぎつねとは、長浜の“御坊さん”こと大通寺に古くから住みついていると伝わる“はな”というきつねのこと。

  少年

ときどき腐乱をくりかえす私の空気

かたわらで
うつむいて
大きな動物の肉を裂いている少年

ナイフを持つ指のはげしさに
まぶたをとじた獣は
おもわず声をあげているけれど
血まみれの指輪の
かすれたようなイニシャルは
やっぱり
私のさがしていた
童話の主人公ではないのですね
ちからいっぱい肉をはがすと
少年は
おびただしい骨をまっしろに磨きたて
その見事さに
すこし未練を残しながら
美しい奴隷の忠実さで
ものうい挨拶にくれていきます

 長浜市には、目も耳もわるいが、無類の善意あふれる詩人武田豊がいる。ラリルレロ書店という古本屋を経営している。その書店の右隣から現代的な繁華街に改装されているのも何か象徴的である。長浜に住んで詩を書いている人は、誰彼となく、折にふれては、この軒さきをくぐる。彼女もそのひとりである。その古本屋から御坊さんまではすぐである。彼女はその寺のすぐ近くに住んでいる。せまい道で、車があまり通らないから何百年も前からのように、人や犬があるいている。

大野新「はなぎつねの座」より


長谷川進『あわわん』長谷川工房出版、平成元年(再版)


初版は昭和49年。再版にあたり、詩誌「ノッポとチビ」でいっしょだった大野新が序文を寄せている。
河野仁昭『戦後京都の詩人たち』によると、黒瀬勝巳とは高校の同級生で、「刹那」(昭和41年)・「櫓」(昭和50年)といった同人誌を黒瀬らと出していた。大工で工務店を営み、黒瀬の家も長谷川が建てたという。
あとがきから察するに、本書のあと詩を書かなくなったのは黒瀬の死も一因のようだ。

  日曜日

頭のどこかにある港で
潮風に吹かれて
いつも悲し気な顔をした僕が立っている
ある日
白い船
静かに
なんかの間違いのように
港に向ってくる
それが間違いでないことが分るにつれて
おたおたしはじめている突堤の僕を
ひとり思い浮べて笑ったりする
日曜のひるさがり


新刊の約10冊

「toji 2号」トージ社、2019年3月


正一さんのおさそいで「夏の湯の夢」という文章を寄せた。

2018年の約10冊

古書の約10冊

今年は戴きものに恵まれた。生前の詩人の記憶も。受け継ぐことの喜びと責任。

水沼靖夫『四季の子守唄』私家版、昭和46年

透明な滴くを放射状に
きらめかせて燃えた
あの水々しかった太陽
たとえ真火な荒野がすぐみえるとも
いつまでも霧のむこうに潤んで
俺の身は濡れ 水がしたたり
そのまま溶けて流れて行くように思えた
水の国へ その水の都へ

「太陽は」より


水沼靖夫『漁夫』関西書院、昭和50年

時間はそれぞれに魂を握り締めているものだ
魂を握り締めて
身を浸して流れる水のようにではなく
波間に遠のく島のように
その島へ寄らなかったことへの悔いのように
時間はある

「時間は」より


水沼靖夫『近江抄』私家版、昭和51年

 稀にこの国を出て、そしてこの国に帰って来た者は、己の探していたものを初めて見出すにちがいない。逢う身よ。あるいは、この国に失なった分身を探しに来る者は絶えない。そして探しあてたものを連れて帰ることができないと知って、この国に住みつく。

「外輪」より

 この作品集は「わが近江」と名付けてもよかった。この国には緑色の、それも水のような風景が常に溢れていて、私の由来がその向うに隠れているように思えたからだ。

「あとがき」より


水沼靖夫 個人誌「水夫」A(1985年1月)・B(1985年3月)・C(1985年6月)

「水夫」Cの発行日は1985年6月30日だが、詩人は6月10日に入院、8月15日に亡くなった。



没後、小柳玲子氏によって編まれた最後の詩集『水夫』(花神社、1985年)は、同誌と同じ体裁・レイアウトがとられた。左は筒函。

 卵細胞が卵巣内で発育し成熟したとき、卵胞が破れて卵子が排出される。その卵子は子宮の闇の中をゆっくりとその中心に向って下りてゆく。まさに白色矮星のように、薄暗く光りながら移動してゆく。それは私の眼には青白く揺れて見えるようだ。そして受精しなかった卵子は、超新星のように散ってしまう。
 このようなアナロジーを私はよく想う。特に、白色矮星の美しさを想い浮かべる。それが生でなく死の様態であることを思いながら。しかし、内宇宙は外の宇宙と正反対の在り様を示してくる、ことも私の驚きである。

「雑記 内宇宙」(「水夫」C)より


『尾形圭一詩集』尾形圭一詩集(遺稿)刊行会、昭和35年

昭和4年神戸市生まれ。彦根の滋賀大経済学部では近江詩人会の指導者でもあった杉本長夫の教え子だった。大学卒業後、長浜で塾の先生をしていたことがある。昭和35年、神戸にて没。師の杉本長夫が序文を書いている。
印刷・双林プリント。装幀・山前実治。

  詩人と柿

青空に映える柿が
しぶ柿だということを
誰よりよく知っている君だ

わざわざとって
かじらなくてもよいだろう


杉本長夫『呪文』文童社、1962年

  小景

坂道を登りつめると
老蘇(おいそ)の森がみえる
鐘や太鼓の音がしている。

やがて
小鳥を飼つている農家の
見事な椿の古木
あたりは菜種の花盛り。

男の子が二人で
田芹をつんでいる。
ここまでくると
わたしの足は急に軽くなる。

ほつこり甘いマロンをおもわす
多喜さんの家はすぐ近くです。


井上多喜三郎『花のTORSO』月曜発行所、昭和15年

多喜さんの袖珍句集。

  ビワコホテル

配皿のボーイは若し月も配る


高橋輝雄『もくはんのうた 5』虫眠館、1979年

自刻自刷の木版画・蔵書票に、木版で刷った友人の清水卓・小桜定徳・自身の詩。限定30冊のうちの第27冊。
高橋はのちに清水の詩だけで『清水卓詩抄』(1981年)を自刻自刷で20部つくっている。




『詩集 海道』龍舌蘭社、1950年

宮崎の詩誌「龍舌蘭」同人の合同詩集。高橋輝雄のカット1点。高橋の友人・清水卓の妹・清水ゆきの詩が8篇掲載されている。


清水卓に妹がいたことを今年以下で知った。
小桜定徳旧蔵の高橋輝雄木版詩集 : daily-sumus2

  無題

古い鳩時計はもうならなくなつた
しかし禱りてきかせ給へよ
失樂の歌を

(清水ゆき)



中田忠太郎『かひつぶりの卵』私家版、大正14年

この石川の詩人の名を初めて聞いたのは金沢の龜鳴屋さんでだった。その日オヨヨ書林せせらぎ通り店で伊藤信吉『金沢の詩人たち』を見つけ、「中田忠太郎『かひつぶりの卵』の詩人」という文章を読んだ。
あれから4年。ようやく手にした本書はボロボロだが、いまも若々しい抒情に満ちている。19歳の作。


NDLデジコレで読める。
かひつぶりの卵 : 詩集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

詩集はこれきりのようだ。没後金沢の詩誌「笛」93号(笛の会、1970年)で特集が組まれ、前半が6篇からなる遺稿詩集となっている。


『夜の歌 長谷川利行とその藝術』矢野文夫編、邦畫荘、昭和16年

長谷川利行展の帰りに百年さんで。

うすねづみ色の
うしろ姿である
部屋の片すみを
遁れて行く
あすぱらがすを
食べたいナ

(「キヤツフヱ・オリエントの印象 その1」)


阪本周三『朝の手紙』蒼土舎、1981年

ひらかれた書物にサイドラインを引くために生まれてきたのではなかったことを、
あなたのひとみのなかで
ぼくは耐えなければならない。

「海」より


保忌


高祖保よ、君をかなしむ、
さやうならとも言はないで、
ビルマに消えた『雪』の詩人よ。
悲しい戰さの受難者よ。


高祖保よ、君をしのぶよ、
お行儀のよい來訪者、
禮儀正しい通信者、
待たれる人よ、待たれるたよりよ、


僕の孤獨の慰安者よ、
追悼文の豫定の筆者よ、
この番狂はせは、むごくはないか、
天へ昇つた天童よ!


ああ、呼ぶけれど答へぬ者、
天へ歸つた詩の雪よ、
高祖保よ、きこえるか、
とぎれとぎれの僕の聲が?


堀口大學「雪」
『雪國にて』(柏書院、昭和22年7月7日)所収

※「天童、高祖保哀悼詩篇」四篇のうちの一つ。悼詩四篇は『高祖保詩集』(岩谷書店、昭和22年11月10日)に序詩として再録された(若干異同あり)。

2017年の約10冊

古書の約10冊

加藤健『詩集』詩洋社、昭和6年

立原道造が「盛岡ノート」の旅で親交を結んだ詩人。この人は、生前刊行した10冊の詩集(没後にも2冊ある)のうち6冊にただ『詩集』と同じタイトルをつけているのだけれど、本書は第一詩集。石神井書林古書目録100号より。同目録には「藤田嗣治(表紙・挿絵)」とあるが誤りで、何かの手違いだろう。藤田が装幀挿画を手がけたのは第三・第四・第五・第六・第八詩集。
「後記」によると、詩誌『詩洋』で師事した前田鐵之助の夫人のカットが使われる予定だったが、未着のため同夫人が装幀した前田鐵之助『四つの詩集』と同装にしたとある。

公園の熊の子は寂しい。
二匹で相撲をとるのだ、
そして二匹ともころぶのだ。


(「断章」より)

暗澹として空は曇つた。


黒い馬は意志に燃ゆる、
銀に、川を蹴たて ゝ走つてしまつた。


(「馬」)


中村胖『青い紳士』書肆かぎや、昭和23年

戦前は「冬木胖」名義で書いていた、堀口大學門下の詩人。高祖保「孟春」のエピグラフ「月夜の園の鶴夫人(マダム・シゴオニュ)の扇」の作者。戦後は本名で書いたようで、本書は句集。中村胖名義では他に、旧作より編んだ詩集『今いづこ』(書肆かぎや、昭和22年)もある。

白きマスクを外して白き言葉あり

落葉積むわが墓ぞ見ゆまぼろし

枯木にもたれたひとのねがひは音楽

クリスマスカアドにも書けりさびしやと


松本良三『飛行毛氈』栗田書店、昭和10年

『シネマ』の石川信雄によりまとめられた遺歌集。石川と松本は川越中学で同窓になって以来の盟友。昭和8年に27歳で早世。


アドバルウンに吊りさげられてゐる街はくたびれはてた晝の街なり

かの日よりうちがはばかりむきたがるかなしみをもつた少年なりき

今朝買ひしメソポタミヤの地図なくし夜更けの街にわれ迷ひゐる

ひとあまたみちあふれゐるデパアトに買ひしノオトをわが撫でてゐる


西山克太郎『過去』私家版、昭和39年

石神井書林古書目録101号より。「リアン」事件に連座したシュルレアリストの第一詩集。昭和14年発行だが直ちに発禁、押収されて2部しか残らず、「西山克太郎論」のある内堀氏ですら原本未見とのこと。本書はその復刻版。著者による後記、「「過去」出版前後事情」、高橋玄一郎「山中消息」も収む。
収録作はわずか10篇。検閲に引っかかりそうな詩は題名のみ掲げ、別途「詩集過去・補遺」として配ろうと謄写版で10部ほど刷ったそうだが、発禁時にすべて失われたという。
ほか、『モルグ』『点と線』という作品集もあったが、稿本を預けていた高橋玄一郎が「リアン」事件で検挙された際に失われてしまったのだった。


地球の裏側に赤き肉體が散る。
男の胸と女の胸。
 (河が奔る 動脈出血のやうに 激しく)


男が頭を裏返す時、女は肌を裏返す。
それは女が蜜蜂に近いせいだ。


(「法に依りて」)


志村辰夫『新フィレンツェ』日本愛書会、昭和17年

イタリア・ルネサンスに仮託して体制批判したというサタイア詩集。濱田濱雄の挿画・コラージュが5点入っている。『新領土』で一緒だった安藤一郎と永田助太郎が跋文を寄せている。


太田静子『あはれわが歌』ジープ社、昭和25年

太宰との顛末を書いた小説。モダニズムの画家で詩歌もつくった六條篤が「三條篤」の名で登場する。太田静子は戦前、新短歌を詠んでいたころ六條篤と恋仲になったことがある。作中に六條が太田のために書いたという詩「指紋」が出てくる。ほんとうに六條篤の詩なのか、それとも太田の創作なのか、不明。

これは牛乳で育つた花
水曜日の饗宴のゆるやかな流れに
影をおとして


多くの会話がそれに集る


わたしのシモーヌ・シモン
そなたの指に花葩がふれる
さやうなら花が散る
黄昏の指紋が残る


『先生のいない学校 「近江詩人会」の思い出』近江詩人会、1995年

京都新聞朝刊「文化の風土」欄に1995年1月1日から31日まで26回連載された回想録をまとめた冊子。東京では日本近代文学館が所蔵するが、手元においておきたい一冊。文月書林目録「étude 6」より。

執筆者と記事名は以下の通り。

  • 中川逸司「近江詩人会創立前後の縁」
  • 木村三千子「第一回滋賀県文学祭詩の部に応募したきっかけ」
  • 谷川文子「「令女界」などで知った詩人たちとの出あい」
  • 宇田良子「敗戦の混乱のなかでの詩の芽」
  • 宇田良子「井上多喜三郎さんと交歓する詩人たち(一)」
  • 宇田良子「井上多喜三郎さんと交歓する詩人たち(二)」
  • 宇田良子「願ってもない田中冬二先生のご親愛」
  • 宇田良子「西条八十門下の俊秀 小林英俊和尚」
  • 中川郁雄「山ノ口獏さんを乗せて走った中山道
  • 藤野一雄「乳母車に乗った武田豊さん」
  • 藤野一雄「書物に対する異常な執着心 田中克己先生」
  • 藤野一雄「詩を志すだけで気軽に出入りできた師の家 杉本長夫先生」
  • 藤野一雄「都市型詩人と田園型詩人の師弟関係」
  • 伊藤桂一「真摯で熱っぽい合評会」
  • 藤野一雄「語り草のイノシシ狩り 木彫師 山本紀康さん」
  • 田井中弘「稚拙な多喜さんとのケンカの思い出」
  • 田井中弘「「山の樹」の同人と巡った湖北と湖東」
  • 尾崎与里子「男友達とのつきあいの楽しかった木彫師の村」
  • 尾崎与里子「女性五人で同人誌「ゆひ」の結成」
  • 尾崎与里子「「遠方」を見るひと 大野新さん」
  • 武部治代「ユーモアとアイロニーの味趣 藤野一雄さん」
  • 武部治代「詩の旅でであったひと」
  • 大野新「死の棺に間に合わせた詩集の女人 北川縫子さん」
  • 大野新「一篇の傑作をのこしたアル中詩人 伊藤茂次さん」
  • 大野新「詩の賞に揺れた仲間たち」
  • 山本みち子「近江の詩の風土は独特の湿りとこくと艶と灰汁」
  • 大野新「あとがき」


杉本長夫『石に寄せて』書肆ユリイカ、1955年

私は淋しい人が好きだ
冬枯れた雑木林の小路のような。


私は悲しむ人が好きだ
泉の傍の青苔のように。


私は死を想いつめる人が好きだ
鏡のなかの山百合のように。


(「好きな人々」)


中村正子『胸のそこの川原で』いしころ詩の会、昭和35年

解題:大野新、題字:山前実治、印刷:双林プリント
結核療養所で一緒だった大野新の手で刷られた遺稿詩集。善行堂さんにて。


乾直恵『肋骨と蝶』椎の木社、昭和7年

早稲田Cat's Cradleのブックフェスにて(今年で終了なのは残念)。古書ソオダ水さんの出品(実店舗オープン楽しみ)。


『教室』16号、長浜詩話会、昭和27年8月24日/『地上』21〜25号・27号・30号・32号・33号・36号・41号・42号・45号、長浜詩人会、昭和28年2月28日〜30年5月29日(ほぼ毎月発行)

発行責任者はいずれも武田豊ガリ版刷りの小さな手作り冊子。表紙が手描きの号もある。
『教室』は、武田豊も創設者の一人だった近江詩人会の詩話会テキスト『poets' school』(『詩人学校』)を意識しているように思われる。『地上』21号の後記より、『地上』は『教室』の改題誌であることが分かる。通巻号数は改めずに引き継いでいると思われるので、『地上』の20号以前は存在しないはず。何号まで続いたのだろうか。『地上』の主要メンバーは、武田豊が昭和42年6月からはじめた詩誌『真珠』に加わった。『真珠』は一昨年87号で終刊するまで半世紀近く続いた。これら長浜在住の同人を中心とした詩誌と平行して、武田豊は昭和29年から45年まで大野新・天野忠石原吉郎らを同人とする『鬼』も主宰していた。
長浜市立図書館には『真珠』が1号からあるが、『教室』と『地上』はどこも所蔵していない。武田豊について調べている過程で、『教室』時代から『真珠』終刊まで関わってこられた詩人に出会い、保存されていたのをご提供くださった。武田豊の詩集未収録作品も複数含まれている。長浜における詩の活動の歩みを知る上でも貴重な資料。なによりこれらが残されていたこと自体に感動。


新刊の約10冊

山下陽子蔵書票集『妖精の書』ギャラリーロイユ、2017年

4月にギャラリーロイユで蔵書票シリーズ他の新作をじっくり観られたのもよかった。
https://www.g-loeil.com/product-page/le-petits-messagers-妖精の書

涸沢純平『遅れ時計の詩人』編集工房ノア、2017年

【+】刊行記念冊子『淀川左岸』ぽかん編集室、2017年
http://www.keibunsha-books.com/shopdetail/000000021795/b_yom/page1/order/

『ぽかん6号』ぽかん編集室、2017年

http://www.keibunsha-books.com/shopdetail/000000021037/b_lit_bun/page1/order/
長浜の詩人・武田豊について小文を寄せた。

【+】ぽかんのつどい記念冊子『ぽかん読者にすすめる5冊』ぽかん編集室、2017年
6号の拙稿とあわせて読む想定で5冊おすすめした。

高橋輝次『編集者の生きた空間』論創社、2017年

【+】同『古本こぼれ話 巻外追記集』書肆艀、2017年

今村欣史『触媒のうた 宮崎修二朗翁の文学史秘話 』神戸新聞総合出版センター、2017年

尾崎与里子『どこからか』書肆夢ゝ、2017年

13年ぶりの新詩集。ご恵投にあずかる。人生の黄昏と始原を同時に想う。私の育った町で、しかもすぐ近くで詩を書いてこられたと知ったのは、つい数年前のこと。今年初めてお会いすることができたのだった。

黒木アン『ウィル』虹色社、2017年

https://title-books.stores.jp/items/59aa5b7fc8f22c6b4400026c
8篇の詩に、対応する点字の印刷された薄紙が重ねられている。それは飾りなどではなく、詩と同じく詩人の想いが姿をかえたもの。
点字毎日の紹介記事

『新訳 ステファヌ・マラルメ詩集』柏倉康夫訳、私家版、2017年


【+】青土社よりKindle版も出ている。
こちらはフランス語原詩も収録し、ヘッダーメニューで原詩と翻訳の間を簡単に行き来することができる。またIndexには49篇の詩に使われたすべての単語が網羅され、詩のどの行にあるかも分かるようになっている。電子書籍の利便性ができる限り実装されている。

田中純『歴史の地震計 アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論 』東京大学出版会、2017年

【+】刊行記念プレゼント「ムネモシュネ・アトラス・カード
当選!

保忌


高祖保高祖保、そうだつたかそうだつたかと、あの人は元気でいつた。高祖のバカヤロウと僕は口のなかでつぶやいた。何んでビルマなんかで死にやがつたと、お前もここへ来て一パイ吞めと、それで急に彦根の城下町が好きになつた。
彦根城址にて高祖保を憶う〉


安藤真澄「詩人のノート」より
『コルボウ詩集 一九五三年版』 (コルボウ詩話会事務所、1953年)所収