厦門採訪 老街篇
1920年当時の厦門では、五四運動や日貨排斥運動の影響で反日感情が高まっていた。
ある夜、佐藤春夫は宿で寝床に豚の背骨を入れられるという目にあう。
これはどうもボオイか何かの悪戯に相違ない。料理場の近くで犬がしやぶりさらしてあつた奴を、私が日本人と見てとつてこんな怪しからんことをしたものだと見える。私はその忌々しいものを足で床の下に蹴り飛ばした。さてもう一度電燈を消して、この地方での日本人の不評判を思つて見る――つい昨日散歩の路上であの町はづれの壁に見出した落書のことを考える。「青島問題普天共憤」「勿忘国恥」といふのがあつた。――日貨排斥のものとしては「勿用仇貨」「禁用劣貨」などともあつた。「こ奴は日本人だ!」といふやうなことを言ひながら私につつかかつて来た醉漢もあつた……。
それから幾星霜を経て・・・9月16日には厦門でも反日デモがあったそうな。われわれが訪れた当月はじめはいたって平穏で、日本人だからどうということは全くなかった。
厦門2日目の夜、中山路の新華書店で『愛上老厦門』という本を購う。厦門の歴史や古いところばかりを紹介している。佐藤春夫の『南方紀行』は厦門島内の地理的情報が乏しいので、この本で補うことにする。といっても、中国語は全く読めないのだが。
現代の厦門は、高層ビルが林立する大都市である。
目抜き通りの中山路は歴史ある通りだが、今や観光客向けのギラギラした繁華街となっている。
こういうところではなく、なるべく古い趣の残る街並を歩きたい。『愛上老厦門』を繙き漢字を拾い読みしていくと、どうやら開元路とその先の界隈が古そうだ。この通りは1924年竣工と、佐藤春夫の訪れた頃よりは新しいのだが、まあよかろう。
朝の開元路を歩いてみる。よそ向きの表情がなく、生活感漂っていい感じだ。
中山路などもそうなのだが、沿道の建物一階部分がアーケードになっている。台湾でも見られる所謂「騎楼」で、高温多雨の気候に適った建築形態である。『愛上老厦門』によると、厦門では「五骹記」とも称するそうな。
天井を見上げると梁が5本。名称はこれと関係あるのだろうか。
歩いて行くうちに肉や魚を商ふ店や、店さきに古着を吊したところなどがあつて・・・
どうやらこの辺りは現地人の台所のようである。行けども行けども、市が続く。苦みのある濃厚なにおいがたちこめている。
横丁へ入って行くと、そこも賑やかな市。
さらに薄暗い路地へ潜りこみ、住居の谷間を彷徨う。
ひっそり閑とした路傍で、壁に埋め込まれた古い石碑を発見。
「重修洪本部渡頭碑記」とある。碑文はほとんど摩滅している。
近くにも同様な碑が。
建物の形に合わせて上部が切り取られてるけど、いいのか・・・
『愛上老厦門』によると、こちらは「増修洪本部路頭碑」というらしい。
いずれも清代のものなのだが、碑文も『愛上老厦門』も読みこなせないので残念ながら詳細は分からない。「渡頭」「路頭」は船の渡し場や重要道路のことをいうそうなので、それらを増改修した際に建てられたものなのだろう。
何処をどう歩いているのか分からなくなってきたので、
光のさす方へ抜けると、
どーんと高層ビルが建っていたりする。
オフィス街かと思いきや、またちょっと横丁へそれると、生活感濃厚な市が現れる。
歩く方角によって目紛しく表情が変わる街、厦門。佐藤春夫が訪れた頃よりずいぶん様変わりしただろうが、当時彼が抱いた印象には、何処か頷けるものがあると思った。
厦門に対する私の印象は、何か十年も前に読んで筋の大部分を忘れてゐる探偵小説の、そのきれつぱしのやうである。