詩の旅、旅の詩

  • 伊藤信吉 『紀行 ふるさとの詩』 講談社、1977年


松屋浅草の古本まつりにて。300円也。
北海道から沖縄まで、著者が心惹かれる詩と詩人にまつわる地をめぐった旅の記憶。「詩人の声がいざなう信濃の国」という章で、高祖保「旅の手帖」の一部が引かれている。

九月なかば軽井沢駅で――夏が背をむけて、雨のなかを、落ちていつた。避暑客につづいて、しよんぼり。秋が傘さして、やつてきた。山霧と落葉松の隙(あひ)から、大股に。わたしは、ちやうど、その中間を歩いたことになる。夏服で。白靴で。ぬれしほたれて。……

再び旧道で、九月なかばといふに、気早なここの商店街は、あらかた、渡り鳥のやうに都へ還つてゆき、店舗は、荷造り函そのまま、板を釘づけにしてゐる。街は、うへにゆくに随つて、寂しくなる。ちやうど、荷造り函のあひだを歩くに肖た、零落(うらぶ)れた気持……秋霖が、この荷造り函を、いつせいにぬらしてゐる。

みたび旧道で――草津ゆきの軽便が停るたびに、それでも、すこし派手な夏の色彩がこぼれ出す。だが、それらはどこへ、沁みこんで了ふのか。しばらくすると、また元のひつそりした、商店街になつて、雨がふつてゐる。わたしは、洋服に下駄といふいでたち、宿の名を大きく書いた唐傘さして、林檎を購(か)ひに出る。

旅の手帖  高祖保


海でも山でも湖畔でも、避暑地の秋はうらさびしい。晩夏、初秋。微妙な季節の移りゆきといっしょに、眼にみえて人通りが減る。夏が賑やかだっただけに、秋のおとろえがいっそうはっきりする。
秋草が咲きみだれ、すすきの穂が揺れる。雲がしきりに流れる。山霧がおりてきて通りを走り抜ける。派手な色彩を撒き散らしていた昨日の町はどこへ行ったか。
高祖保は夏の終りに軽井沢へ泊ったらしい。店を閉じ、荷造りをしている商店の人たちも、肌寒い雨にしょんぼりしている。そのさびしさは、旅人のこころを故もなく零落感に誘う。

(132-133頁)