高祖保の雪

2010年の大晦日、帰省先の彦根は朝から雪だった。

降りしきるそれは、高祖保が詠った粉雪。この冬、彦根ではそれまで雪がちらつくことはあっても、積もるほど降ったことはなかったと聞く。雪の詩人生誕100年最後の日がこのように雪で飾られたのは、天の計らいというほかない。積もって身動きが取れなくなる前に、詩集『雪』を持って彼の旧居跡を訪ねた。

江州ひこね。ひこね桜馬場。さくらの並木。

詩「雪」冒頭に詠われるこの「桜馬場(さくらばんば)」で、高祖保は1919年から13年間過ごした。正式には「外馬場(そとばんば)町」といった。現在の京町2丁目にあたる。旧居跡は、彦根城の中濠に沿って東西にのびる「中濠東西通り」から折れた写真中央の道の先にある。道の左側に見えるのは彼が通った小学校。右側は当時彦根城の外濠だった。

保少年と母が暮らした家は残っていないが、その跡を見つけるのは簡単である。小学校を過ぎてしばらく行くと、大きな古美術店があり、その脇に「彦根訓盲院跡」の石碑が建っている。評伝『念ふ鳥 詩人高祖保』によると、その右側が高祖家のあった場所だという(58頁)。

外濠に面して、生垣と格子戸の門のある、同じ造りの和風の平屋が二軒あって、その片方が高祖家であった。二軒で七十坪ほどと、土地はせまかった。 (中略)
高祖宅は四部屋だったらしい。藁屋根で、応接室、食堂、居間、それに寝室。牛窓の本瓦葺きの屋敷よりかなり小さい。玄関には小鳥の籠が吊られ、正面の濠のあたりに桜の樹が眺められた。庭には大王松が植えてあり、草花を植えた二坪の畑もあった。

外村彰 『念ふ鳥 詩人高祖保』 龜鳴屋、2009年、56・59頁

ここで高祖保の詩情は育まれた。ここで見、ここで触れた雪が、いくつもの詩へと結晶した。
彼の詩集『雪』を取り出し、しばし佇む。風に舞う粉雪が外函に吸い寄せられては、すっと融けていく。彦根の雪が、再び『雪』の一部になっていくのを眺めながら、詩人を偲ぶ。

『雪』を小脇に抱え、旧居跡周辺の「すつぽり、雪ごもりの街区」(「雪」)を歩く。




この辺りの風景は、高祖保が暮らしていた頃よりずいぶん変わっている。だが『雪』の詩情は、まだこの地に残っていると思われた。詩人の叙情を、肌から感じた気さえした。彦根の、彼の愛した雪が、そうさせたのだった。


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