Enchiridion 25-6 ロジャー・アスカム その6

※以下は、英語もギリシア語やラテン語と同じくイアンボス調に対応できる、という主張のあとに続く文章。

だが、みな無知と怠惰のために、少しも極めようとしたがらないし、そうしようと努めもしない。アテナイとローマの偉大なる詩人たちは、粗野な大衆のご機嫌取りになど走らず、学識ある者のお眼鏡にかなうことを心がけたものだ。いま仮に、イングランド中の人間が、学識や技法や良識に関して見上げた心がけを持つようになり、知識が備わらないうちはものを書くなどということは控え、また常日頃から、無学な者にありがちなように韻律の韻だけ確かめてこと足れりとするのではなく、詩脚や音節についてもことごとくその正しい数や長さを進んで調べるようになったとしよう。これは学識ある者にのみなせるわざで、ギリシア人やローマ人なら好んで行っていたことだ。さすれば必ずや、14音節まではスラスラいけるが脚韻で毎回簡単に躓くような軽率で無知な輩は、その無知ゆえにあるいは骨折りを嫌って、これまでのようにはのさばれず鳴りをひそめることだろう。そして、ロンドン中の書肆から、現在その店頭を満たしているような無知蒙昧なる詩は一掃されることだろう。だが目下、書きたがり屋は準備万端、機をうかがっている。そしてその多くが、現に本だバラッドだと日々書きなぐっており、百花繚乱の様相を呈している。だがそんな花々に学識の根は続いておらず、知恵の果実とてひとつもなってはいないのである。


『教師論』 第2巻


Alexander Ireland (ed.), The Book-Lover's Enchiridion, 5th ed., London, Simpkin, Marshall & Co., 1888, p.23.