Enchiridion 25-4 ロジャー・アスカム その4

だが、抜粋集が手紙や何かといった日常的な書きものに巧く活用されているかというと、さにあらず、それはまた大著をものす場合も同じで、必ずしも使われていない。もっとこれを日ごろからよく読み、抜かりなく参照して引くべきだ。というのは今や、一人が筆不精の罪を犯しているとすれば、その二十倍もの人間が書きすぎの罪を犯しているからである。あたかも、一人が貧乏と空腹で病気になっているそばで、その二十倍もの人間が肥りすぎで病気になっているようなものである。だからこれが使いこなせる教師は常に英国最高の医者で、最良の治療を授けることができる。すなわち、抜粋集による大胆切除術である。若く壮健で誇り高く、普通に自己を好き愛しているうちは、人の頭はまだ妄想や主張、誤解や障害に侵されておらず、身体も悪い体液に満ちてはいない。ならば、内なる創造のみならず、あらゆる文章・発話についてもそうあるべきだ。
抜粋集によるこの良き指導を受けられず活かせない者は、たとえあらゆる分野で創意に富んだ頭脳を発揮でき、どんなことでも場所を選ばず滔々と弁じ立てることができても、鈍で愚図な黙りん坊より酷い誤りを犯すものだ。なんとなれば、気の早い発明屋や口の早い弁舌家が、あつかましくも出任せに持ち前の能力を過大誇大に吹聴すること、彼らより学がなく学識に頼れない者より甚だしいからである。そしてそういった輩は、鈍で口べたな者よりえてして学識がなく、どんな深刻な問題に対しても貧弱な見解しか抱けないからである。


『教師論』 第2巻


Alexander Ireland (ed.), The Book-Lover's Enchiridion, 5th ed., London, Simpkin, Marshall & Co., 1888, pp.21-22.