Enchiridion 21 リンゲルベルギウス

ヨアキムス・フォルティウス・リンゲルベルギウス 1536没

学問を始めたばかりのころは、たいして進歩が実感できなくとも意気消沈してはならぬ。なんとなれば、その瞬間の動きが捉えられなくとも時計の針の確実なる進み具合は分かるように、あるいは、その時間ごとの成長に気づかなくとも草木が繁茂するさまは誰の目にも明らかなように、一見変化が感じられずとも学問研究というものは着実に進歩してゆくのだから。商人とて、十年にわたる航海に身を投じ、千もの苦難をくぐり抜けるはめになったとしても、最後の最後にひと財産築けるのだから、むしろめでたいと思うものだ。臆病な生き物のごとくに、はじめの一歩で絶望すべきか?否!そう、座右の銘とすべきは、これだ。「魂の目標は、何であれ必ず実を結ぶ」
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学問に励むより惰眠をむさぼる方に長く時間をあてるのが習い性となっている者、そんな者にはこれから述べる方法がおすすめ。好きな時間に鳴らせる目覚し時計にも似て、きわめて有用であろう。この私、旅の途上か、そんな機械が手に入らぬ場所に滞在しているときには、実際の話、寝すぎぬようベッドに2本の木の板を渡して、その上に寝ておる。寝心地が悪いと思ったことはない。これまでの経験でわかったのだが、疲れておるときは寝床が固くともぐっすり眠れ、ちょうど休息できたころにその固さがこたえて目が覚める。といっても、たいていの者には耐えがたいであろうし、どれほど学問研究を愛しておっても試す者はほとんどなかろう。ゆえに、こちらの目覚ましの方もおすすめしておく。むしろこっちの方が良いやもしれぬ。すなわち、強固なる意志。これさえあれば、朝の決まった時間より寝過ごすことなどなかろう。
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つまらぬ些細なものごとから身を遠ざけ、己の天性と能力に見合った学問に専念せよ。人はみな、己の財産を見積もるが、ならばなおさら己に許された時間もそうすべきである。人の振る舞いとはおかしなものだ。不運に見舞われて財産の一部を失うと、そんなもの努力次第で簡単に取り戻せるのに、けたたましく嘆き散らす。しかるに、決して取り戻すことかなわぬ時を失っても、泰然としているばかりか、見るからに楽しげ満足げなのである。
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学者にあこがれる者は、奇を衒った振る舞いをしがちである。学問の海は果てしない。岸辺でつまらぬことに時を浪費しながら、いかにして航海を成し遂げられようや。沖へすら出られまい。希望は努力のなかにしか見出せず、報いは努力の末にしか得られぬ。人生の秋でなくともたゆまず時の果実を集めねば、その冬の終わりに死んだ家畜のごとく墓へ蹴落とされ、生きた証が後世に伝えられることもなかろう。


『学問方法論』 translated by G.B. Earp, from the Edition of Erpenius[1619], who gave it the title of “Liber vere Aureus,” or “The truly Golden Treatise.”


Alexander Ireland (ed.), The Book-Lover's Enchiridion, 5th ed., London, Simpkin, Marshall & Co., 1888, pp.14-16.

※ヨアキムス・フォルティウス・リンゲルベルギウス(Joachimus Fortius Ringelbergius)、あるいはヨアヒム・シュテルク・ファン・リンゲルベルク(Joachim Sterck van Ringelberg)は、アントワープ生まれの八宗兼学の遍歴学者。ソーンダイクの『魔術と経験科学の歴史』によれば、彼は上記教育論のほか、鼻血の止め方・妊娠の見分け方・衣類の防虫方法 ・赤い薔薇を白くする方法・暗号法などといった諸国民衆の経験知や奇術を集成した書Experimentaや、作詩法・弁論術・修辞学・算術・天文学・年代学などの手引書も書いている。その各地での講義はしばしば日の出から日没まで続き、1、2ヶ月の滞在でありとあらゆる分野の知識を説き去ったという。(Lynn Thorndike, A History of Magic and Experimental Science, vol.5, New York, 1941, p.147, p152.)