古本に残された人生断片

地震以来、初めて神保町に出かけた。新宿古書展にて3冊購入。

うちに帰って繙いてみたら、
『針線餘事』の30-31頁に、「東京市電気局」の「10銭電車乗車券」が2枚挟まっているのを発見。こんなの初めて見た。

本は2刷で、発行日は昭和18年1月20日東京市電気局は、昭和18年7月1日に東京都交通局と改称されているから、この乗車券はその間に使用されたものと思われる。もちろんそれ以前の可能性もあるけど。乗車券を栞に使うくらいだから、はじめこの本の元の持ち主は職業婦人かなと思った。だが、おそらく主婦だろう。通勤のためなら定期券を使うだろうから。
乗車券の「到着時刻」欄を見ると、1枚は17時のところにパンチ跡が(貫通はしていない)、

もう1枚は18時のところにパンチ穴があいている。

この時刻まで電車で外出できるのだから、彼女は東京のけっこう裕福な家庭の主婦だったのではなかろうか。細々した家事は女中まかせなのだ。小津映画『戸田家の兄妹』で三宅邦子演ずる戸田家長男の嫁を連想する。


『随筆貞女』には、もっといろいろ挟まっていた。

16-17頁に、日本画家・梶原緋佐子の作品「花」をあしらった栞。

156-157頁に、新聞から切り抜いた「朝鮮のはやづけ」レシピ。

210-211頁に、和菓子屋「青柳」のショップカード。

214-215頁に、緑の羽根。

270-271頁に、現代人百科1『結婚』(日本織物出版社)の新聞広告切り抜き。

日付の書き入れもある。

こちらの本の元の持ち主はきっと、梶原緋佐子の美人画に出てくるような女性だったことだろう。「緑の羽根募金」に協力している。得意料理はお新香。まもなくお嫁に行く身だけれど、不安がいっぱい。現代人百科『結婚』で勉強しておかなくっちゃ。でもその前に『随筆貞女』を読んでみたわ。昭和28年4月28日の夜、中野北口の古本屋で購入、さっそく4月29日の朝から読みはじめて、5月16日の午前2時にベッドのなかで読了。戦前の本にしては案外素敵だったわ。ところでお式の引き菓子は「青柳」のがいいんじゃないかしら?


『二人の友』の函は最初、クレーかミロの素描でもあしらわれているのだとばかり思っていた。

だが帰ってよく見ると、それは純然たる子どもの落書きなのだった。
この本の元の持ち主はきっと、貧しい、子持ちの作家志望男性だったにちがいない。
執筆と読書に専念できる書斎など望むべくもなく、彼の戦場は常に居間兼食堂兼寝室の六畳一間だった。やんちゃ盛りの息子がまとわりつこうが泣き喚こうが、彼はじっと堪えて書き続けた。ひそかに師と仰ぐ不遇早世の作家・小山清に倣って、小さいけれど何処かあたたかな文学世界を築くのが夢だった。師の著作は、なけなしの給料からこつこつ金を貯めてすべて買い揃えていた。これらが彼のバイブルであり、希望の源泉だった。
ある日の晩、トイレにたった彼は、便座に腰を下ろして一息ついた刹那、ビクッと身を震わせ「しまった!」と叫んだ。3歳のたかしをひとり部屋にのこす時はいつも、書きかけの原稿や机辺に常備してある師の本を手の届かない所へ移動させていたのだが、今回それを怠ったのだ。アパートの共同トイレと彼の六畳との間には、廊下の端から端までの距離がある。いま声を張り上げたとて、たかしの耳には届くまい。早くここから出なければ。
数分後、六畳に戻った彼の目に飛び込んできたのは、危惧した通りの光景だった。コタツ机の周りに原稿と本が散乱している。それらひとつひとつに、すこしづつ形状の異なる歪な渦巻き模様が描かれている。戸口に呆然と立ちつくす彼に気づいたたかしは、今しも函に描画を終えたばかりの『二人の友』を、誇らしげに掲げて見せた。右手には、ついさっきまで彼の夢を紡いでいた万年筆が、力づよく握りしめられていた。
翌日の夕刻、彼はすべての表紙に渦巻き模様が入った師の著作を携えて古本屋の敷居を跨いだ。『落穂拾ひ』『小さな町』『犬の生活』『日日の麺麭』には二束三文の値がついた。他はタダ同然だった。
しかし古本屋から出て来た彼の足どりは、意外にも軽やかであった。彼がたかしに何か耳打ちすると、たかしはぴょんぴょん跳びはねて喜びを表した。街は夕暮の緑の光に包まれていた。二人はつないだ手を振り振り、もと来た道を帰っていった。