Enchiridion 7 セネカ

※注意:編者Irelandによる倫理書簡からの引用(英訳のみ)はかなり不正確、というか創作に近い。

セネカ B.C.58-A.D.32 ※1

肝心なのは、どれだけたくさんの書物を持っているかではなく、どれだけ優れた書物を持っているかである。※2
学問もせずに余暇を過ごすなど死んでいるも同然で、生きながら墓穴に横たわっているようなものだ。・・・学問に専心すれば、無聊をかこつことはなく、日中退屈して夜を待ち遠しく思ったり、己や周囲の人々を疎ましく思ったりすることもない。※3
碩学は、一見無為でありながら、誰の目にも偉大なことを成し遂げるものだ。※4
「倫理書簡」15・82・84


汗牛充棟の書は、学ぶ者の重荷になりこそすれ、教えにはならない。多数の著作家のあいだをあてもなく渡り歩くよりは、少数の著作家に身を委ねるほうがはるかにましなのである。
「心の平静について」9
〔『セネカ哲学全集1』兼利琢也・大西英文訳、岩波書店、2005年、421頁〕


Alexander Ireland (ed.), The Book-Lover's Enchiridion, 5th ed., London, Simpkin, Marshall & Co., 1888, pp.4-5.

※1.正しくは、B.C.4頃-A.D.65。編者はおそらく、父親の大セネカの生没年と混同している。
※2.書簡15にこのような句はない。ご説ごもっともではあるが。
※3.書簡82に・・・以降の句はない。
※4.書簡84にこのような句はない。この書簡から引くべきは、以下の一節だろう。

私たちが摂取した食物は、消化されずに元の性質を保ったまま胃の中に漂っているかぎりは重荷にすぎない。だが、それまでの性質から変化すると、その時、初めて力となり、血となる。私たちの知性を養うこの読書においても、それと同じになるようにしよう。つまり、取り入れたものを何もかも元にままにしておいてはいけない。それらを私たちに同化されない異物のままに留めておいてはいけない。読書から得たものを消化しよう。さもないと、記憶には達しても知性には届かない。読んだ事柄を素直に受け入れて私たち自身のものにしよう。そうすれば、多くの事柄が一つにまとまる。それは、ちょうど互いに異なる小さな数を加えて合計すれば、元の個々の数から一つの数になるのと同じことだ。これこそ私たちの魂がなすべきことだ。自分の助けとなったものをすべて隠し、その結果だけを表に現すようにしなければならない。誰かある人への賛嘆ゆえに君の中にその人との類似性が深く刻み込まれて、誰の目にもそれと分かることもあるだろう。だが、そのような場合でも、願わくは君は息子が父に似るように似てもらいたい、肖像のようにではなくてね。肖像は命あるものではないから。
「倫理書簡集」84.6-8(『セネカ哲学全集6』大芝芳弘訳、岩波書店、2006年、38頁)