創造的記憶のデータベースとしての想像的建築

  • 桑木野幸司 「建築的記憶術、あるいは魂の究理器機―初期近代の創造的情報編集術とムネモシュネの寵児たち」 (『思想』1026、2009年、27-49頁)

読了。イマジナティヴな書き出しからぐいぐい読ませる。
今でこそ受験生のための暗記法などとして、新聞・雑誌の広告欄で目にする程度になった記憶術。
西洋古代では真面目な修辞学の一分野であり、社会が複雑化して情報が爆発的に増えた初期近代には、創造的な情報管理術として大流行したという。
その方法は、脳内に適当な建築情景を焼き付け、覚えたい事柄をイメージ化し、その建築内の適切な場所に配置してゆき、場とイメージをセットで記憶するというもの。思い出すときは、脳内の建築を経巡ってイメージと出会い、意味内容を取り出して按配する。
書物やネットを駆使できない時代の知識人たちは、こうした技術で記憶を創造的に利用して知的活動に役立てていたのだ。
この西洋の記憶術については、すでに本邦でもパオロ・ロッシ、フランセス・イエイツ、メアリー・カラザース、リナ・ボルツォーニらの研究が翻訳紹介されている。人文学のバックグラウンドをもつ彼らと、建築史のそれをもつ桑木野氏との違いは、初期近代の記憶術を建築の観点から捉え直そうとしているところだろうか。当時、建築学は諸学の女王とみなされていたという。だから「当時、百科全書的な知識の管理にもし記憶術を活用していた者がいたとすれば、その者は神=建築家のごとくに、森羅万象の知識をすべて建築の形に重ねて記憶し、叡智の大世界結構を築き上げていたことになるのだ。」(42頁)
終わりのほうで、実際の記憶術書や百科全書で提案された「記憶の図書館」や巨大な理想庭園のようすも紹介されていて興味深い。情報をイメージ化・立体化して操作するという技術は、パソコンのフォルダなんかでデータを2次元的に分類整理する現代人にとって、実は古くて新しいものなのかもしれない。
ところで仕事柄、視覚障害者と接することが多いのだが、彼らの中には驚くべき記憶力を備えた人がいる。そしてそういう人は非常に雄弁で知的なのだ。視覚イメージに頼ることができない彼ら彼女らの記憶システムがどのようになっているのか、気になるところだ。ちなみにある視覚障害の同僚は、実感として「触覚的記憶」というものがあると言ったことがある。