柳田泉の問題

柳田泉の文学遺産 第二巻』(右文書院、2009年)を読んでいたら、こんな文章に出くわした。

○書物の将来は?
 僕、一つ問題を出さう。書物の将来はどうなるかといふことだ。現に文学といふものも科学もトーキイやラヂオやに領分を侵されて来てゐる以上、書物の形式もいつまでも今日のやうなブックフォームではつゞくまい。恐らくラヂオのテキストみたいなものになつてしまひはせぬであらうか。ウエルスか誰かの小説で読んだことがあるが、人間が一人づゝ小さな部屋で生活してゐて、読書がしたくなると、小説なら小説、科学なら科学といふボタンを一つ押すと自分の思ふやうな本をラヂオで放送してくれるといふのがあつたが、あれは結局実際さうなるのではなからうか。とにかく書物といふものはなくならぬにしても、今迄の形式とは違つたものにならう。獣骨、焼物、竹簡、布帛、紙といふ風に書物の材料が変つて来た上、形式も韋編とか巻子とか冊子とかいふ風になつて来てゐる。この冊子の形式も可成り長い間つゞいたが、このまゝでは終るまい。何んな結果になるか、愛書家諸君、よろしく想像を逞しくして次号あたりに御披露に及んだら、いかゞでせうか、面白い問題だと思ふのですが−。(364-365頁)
初出:『書物展望』第一巻第二号(書物展望社、昭和六年七月)

次号でリアクションがあったかどうか、寡聞にして知らないが、今でも全く古びていない問題。

柳田泉の文学遺産〈第2巻〉

柳田泉の文学遺産〈第2巻〉